野江水神社に隣接する榎並小学校校門前に「榎並猿楽発祥の地・榎並城跡伝承」碑が建ってます。
「榎並猿楽」とは、平安時代から室町時代まで京都市立動物園・岡崎公園辺りに存在した五勝寺の筆頭・法勝寺修正会に奉納するする猿楽三座の内の一座、住吉大社に特権を与えられたことなどから一時は本座の丹波猿楽を凌ぐ勢いだったそうですが、応仁の乱から続く戦乱により衰退したと推定されてます。
2012年の大阪市都市景観資源調査の折区役所に出した紹介文にも書きましたが、もう少し上のレベルである文化庁辺りに顕彰して頂きたいのですが、古文書の行間に伺えるだけなのでなにかエビデンスの感じられる発掘物でも出て来ればなんていつも思っています。
処で現在「榎並」の地名は城東区西部の狭い地域に特定されてますが、丹波猿楽・榎並座の存在した平安時代から室町時代の榎並荘は、都島区や旭区にも及び現在の「榎並」の数倍の面積だったので必ずしもこの地とは限らないのではと私は考えます。
「榎並猿楽発祥の地・榎並城跡伝承」碑。
榎並小学校校門。