『榎並猿楽発祥の地・榎並城跡伝承』碑と榎並小学校の桜

 野江水神社に隣接する榎並小学校校門前に「榎並猿楽発祥の地・榎並城跡伝承」碑が建ってます。

 「榎並猿楽」とは、平安時代から室町時代まで京都市立動物園・岡崎公園辺りに存在した五勝寺の筆頭・法勝寺修正会に奉納するする猿楽三座の内の一座、住吉大社に特権を与えられたことなどから一時は本座の丹波猿楽を凌ぐ勢いだったそうですが、応仁の乱から続く戦乱により衰退したと推定されてます。

 2012年の大阪市都市景観資源調査の折区役所に出した紹介文にも書きましたが、もう少し上のレベルである文化庁辺りに顕彰して頂きたいのですが、古文書の行間に伺えるだけなのでなにかエビデンスの感じられる発掘物でも出て来ればなんていつも思っています。

 処で現在「榎並」の地名は城東区西部の狭い地域に特定されてますが、丹波猿楽・榎並座の存在した平安時代から室町時代の榎並荘は、都島区や旭区にも及び現在の「榎並」の数倍の面積だったので必ずしもこの地とは限らないのではと私は考えます。

 

「榎並猿楽発祥の地・榎並城跡伝承」碑。f:id:jotoyumekoi:20200403220029j:plain

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榎並小学校校門。f:id:jotoyumekoi:20200403220045j:plain

野江水流地蔵尊

 大阪市北部一帯に未だに伝わる明治18年の淀川氾濫大洪水、被害の大きさから新淀川開削に繋がり、その新淀川である現在の淀川は開削以来110年間一度も氾濫を起こしていません。

 その明治18年淀川氾濫大洪水時、当地に流れ着いた霊験あらたかなお地蔵さんが「野江水流地蔵尊」、2012年に大阪市都市景観資源に登録されましたが、その時に私が区役所に出した紹介文がそのまま案内板に掲載されてます。

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私が書いた紹介文です。f:id:jotoyumekoi:20200401034631j:plain

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お堂表のお地蔵さん。f:id:jotoyumekoi:20200401034729j:plain

手水水。f:id:jotoyumekoi:20200401034655j:plain

お堂の裏に仏花が一対。f:id:jotoyumekoi:20200401034708j:plain

お堂の前の高床の建物は、地蔵盆の備品などの倉庫として建て増された物。f:id:jotoyumekoi:20200401034741j:plain

野江水神社と榎並城

 境内桜のお花見に来たついでに元旦年変わり以来のお詣り。

 ついで参りと云うと宮司さんに怒られそうですが、私は基本的に無神論なんで悪しからずです。

 さてその野江水神社ですが、ご祭神は「水波女大神(みずはのめのおおかみ)」、日本書紀では「罔象女神」とも表記される水の女神で、私は泉の妖精の様な女神で利水神かなと理解してます。

 神社の由緒は、1533年 阿波・摂津を領した三好長慶と対立した三好政長が当地に榎並城を築いた折り城内にお祀りしたのが創建とされ、大阪市HPなどでは低湿地に築かれた小城などと表記されてますが、榎並城は阿波・摂津に勢力を持つ三好政長の摂津での居城で有る以上数千単位の兵を収容出来るそれなりの規模だったはずで、当時は地名通り榎の茂る小高い丘に城が築かれたのではないかと私は推測、「江口の戦い」では三好長慶に攻められ八ヵ月間の籠城戦にも耐えています。

 その後歴史の表舞台からは姿を消しますが、当地の西、上町台地では大坂本願寺城、豊臣大坂城、徳川大坂城と3度の築城が行われ、江戸時代には大和川の付け違えと続き石材は持ち去られ小高かった丘は削られ地形そのものが大きく変化したんだと想像しています。

 数年前野江水神社に隣接する榎並小学校建て替え工事の折、瓦や土器の欠片でも出て来ないかなと期待していたんですが、そんな話は一切なくて残念でしたが、今年のNHK大河ドラマの主役が明智光秀で、それなら最近戦国時代最初の覇者・三好長慶の居城・飯盛城の地元辺りから声の大きく成って来た三好長慶を主役にしたNHK大河ドラマも可能性が大いに有りそうで、そう成れば榎並城も取り上げられそうに私は思ってます。

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明治34年銘の有る大鳥居、阪神淡路大震災の被害で鉄板が巻かれ補強されてます。f:id:jotoyumekoi:20200401033006j:plain

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拝殿。f:id:jotoyumekoi:20200401032849j:plain

拝殿右前の御神水f:id:jotoyumekoi:20200401032902j:plain

神水右横の御神木・大楠。f:id:jotoyumekoi:20200401032758j:plain

神水とご神木の間に、日支・大東亜戦争戦没者「慰霊塔」。f:id:jotoyumekoi:20200401032837j:plain

御神木から拝殿。f:id:jotoyumekoi:20200401032954j:plain

拝殿参道左に伊勢神宮遥拝所。
穴から覗くと伊勢神宮が望めますが、最近すぐ前に家が建ちました。f:id:jotoyumekoi:20200401032916j:plain

西口。f:id:jotoyumekoi:20200403215441j:plain

拝殿裏左の摂社「野江稲荷大明神」。f:id:jotoyumekoi:20200401032824j:plain

野江稲荷大明神の後ろに「日露戦勝紀念碑」。f:id:jotoyumekoi:20200401032810j:plain

押絵『西国三十三所観音霊験記』と生人形

 本来なら3月2日まで開催の大阪歴史博物館・第128回 特集展示「押絵『西国三十三所観音霊験記』と生人形」、明日から新型コロナ閉館だそうで最終日に成った2月28日結構慌てて鑑賞。

 明治期の生人形師・松本喜三郎の代表作「西国三十三所音霊験記」の意匠を基にその名場面を明治から大正にかけて熊本の女性作家3人が制作された押絵を熊本県益城町が修復、奇跡的に2016年4月の熊本地震被害を免れ再び公開される運びに至ったそうで、色鮮やかな立体感溢れる押絵が並び、下絵などの関係資料も合わせて展示されていて一見の価値はあります。

 処で、「西国三十三所観音巡礼」は日本最古の聖地巡礼とも言われ、718年閻魔大王誓願を受け蘇生した長谷寺の徳道上人が三十三の宝印を受けたのが始まりと言われますが、史実として記録が残るのは1090年或は1161年に巡礼記が残されて居るそうです。

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生人形師・松本喜三郎 作 の生人形「池之坊」。f:id:jotoyumekoi:20200228140954j:plain

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生人形絵番付。f:id:jotoyumekoi:20200228141116j:plain

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3月17日まで休館です。f:id:jotoyumekoi:20200228142625j:plain

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大阪市役所・東玄関

 大阪市役所東玄関、向いは大阪府中之島図書館。

 何となく威圧感の有る正面西玄関より、大阪府中之島図書館正面前の東玄関の方に何時も親近感を感じてます。

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東玄関ホールで2月19日(水)から3月18日(水)まで岩手県復興ポスターを展示してます。f:id:jotoyumekoi:20201101005719j:plain

喫茶『築地』

 「京都東山立春パワースポット巡り」も13000歩近く歩いたので祇園四条駅から帰ろうかと思いましたが、ここまで来たので四条河原町の1934年創業ウインナーコーヒー発祥のお店とも言われる「築地」で、撮ってきた写真でも見ながら一休みと思って鴨川を渡って河原町まで来ましたがなんと営業時間終了、以前はもっと遅くまで開いてた記憶が有りますが残念な事で、この辺りの高瀬川沿いには喫茶「ソアレ」とか「フランソワ喫茶室」など老舗の有名喫茶店も有りますが、今回は「築地」表の泰山タイルだけ眺めて帰ります。

 しかしこの後、祇園四条駅までの遠かったこと・・・。

 

創業者が役者志望で「築地小劇場」の関係者だとかで店名の謂れだそうです。f:id:jotoyumekoi:20200204175742j:plain

観音開きの表戸を開けると、泰山タイルの床とアンテーク家具のインテリアが目に入るんですが・・。f:id:jotoyumekoi:20200204175746j:plain

泰山タイル。f:id:jotoyumekoi:20200204175801j:plain

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黄昏の四条通

 今年の子年「京都東山立春パワースポット巡り」は、移動に距離が有るのでバス利用が前提なので少し遅めに出ましたが、立春とはいえ陽が落ちるのは早く黄昏の中 夜の帳が降りてきました。

 歩道は雨に濡れてませんが、六八コンビの名曲「黄昏のビギン」を口ずさみながら、足早に家路へ急ぐ人並みを避けつつ悲鳴を上げる寸前の膝を宥め宥め祇園四条駅に向かいます。

 さて来年は丑年なんで・・、北野天満宮では有りふれてるし、狛牛なんて意外と無いし、狛牛らしきものは伏見稲荷に置かれてますが十二支揃ってるのでなんとなく興醒めしそうだし、如何しようかな~。

 

八坂神社門前。f:id:jotoyumekoi:20200204174000j:plain

四条大橋から夕焼けの鴨川。f:id:jotoyumekoi:20200204174745j:plain

東華菜館 本店。f:id:jotoyumekoi:20200204174919j:plain

四条河原町f:id:jotoyumekoi:20200204175145j:plain

京都四条『南座』

 自分の意志で見るシーンや結末を決めることが出来る移動体験型 “南座版イマーシブシアター”「サクラヒメ」最終日開場時間直前で南座前は大混雑です。

 「1階の観客席を全て取りはらい、舞台面と同じ高さにする南座の新機構 “フラット化” を活用し、舞台と客席エリアを完全一体化。その広い空間のいたるところで同時多発的に行われるパフォーマンスを、手の届く距離で観劇できる新しい演劇体験」だそうです。

 

開場待ちの行列。f:id:jotoyumekoi:20200204174438j:plain

毎年11月末には吉例顔見世興行「まねき」が上がる南座正面。f:id:jotoyumekoi:20200204174430j:plain

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鴨川側入り口の破風。f:id:jotoyumekoi:20200204174648j:plain

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