『京町堀 川跡』碑

 グランキューブ大阪の帰り、土佐堀川に架かる筑前橋を渡って東の阪神高速高架沿いを南に少し行くと角地(京町堀 1丁目辺り)の小さな公園「京町堀公園」に「京町堀川跡」碑。

 京町堀川は、西横堀川の京町橋下流側より分流、西に向かって茂左衛門橋上流側で海部堀川と合流し百間堀川に注いでいた全長1080m幅30mの運河で、1617年京都伏見より移住した住人が開削したので当初は伏見掘川と呼ばれた様で、現在の西区京町堀と靱本町の境界辺りを流れていた運河で西に行くと雑喉場魚市場なども存在し舟運で賑わった運河だったようです。

 戦後の大阪市内井路川・運河の例に漏れず、1955年に埋め立てられ道路に成り現在に至っています。

 

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「京町堀川跡」碑。
1980年建立で、当時の大阪市長 大島靖 揮毫 と刻まれています。f:id:jotoyumekoi:20210601145320j:plain

 禁煙の文字も見えますが、周辺オフィスサラリーマンの喫煙場所に成ってる様で、10人以上の方が喫煙中で写らない様に撮るのに少し苦労です。

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山根商店

 肥後橋駅から、土佐堀川沿いを西に行った山内ビルから同じ通りを少し西に行った所に「山根商店」。

 詳細は不明ですが、外壁は補修されていますがどう見たって昭和初期の意匠を施した鉄筋コンクリート造り2階建て地下1 階の商業ビル。

 表通りの土佐堀通り沿い船町ビルが最近取り壊され建て替えられてるので益々貴重な建物です。

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大阪中之島美術館

 2022年2月に開館予定の「大阪中之島美術館」

 やっとと言うか、もうここ迄出来てるんだ・・、と言うのが久しぶりに見た印象で、市長時代の橋下さんがぶち上げてた構想とは随分かけ離れた小規模な箱モノなんだ・・、と言ってしまうと元も子もないと思うので、大阪市が長年市民の目にも触れずに死蔵してたモディリアーニルネ・マグリット具体美術協会吉原治良、大阪出身の佐伯祐三などの常設展示場が漸く具体的な形に成って表れた事には素直に喜びたいと思います。

 処で当初は仮称として大阪近代美術館と言ってたのになんで「近代」の文字が無くなったのか、最初からこのプロジェエクトに係わられてる館長の菅谷さんに機会が有ればお聞きして見たいと思っています。

 設計は遠藤克彦・遠藤克彦建築研究所、このデザイン私は正直に言って余り好きでは有りません。

 

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林市蔵先生肖像

 淀屋屋敷跡碑の西隣に「林市蔵先生肖像」。

 元内務官僚で大阪府知事時代に法学者・小河滋次郎と共に民生委員制度の前身と成る方面委員制度を創設し府に救済課を設置した第15代 大阪府知事です。

 方面委員制度制定は米騒動の騒乱が切っ掛けとも言え、福祉面だけが強調されてますが、林市蔵は内務省の元警察官僚で、初期の方面委員には警察官および元警察官も多く公安的側面も有った様ですね。

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『淀屋の屋敷跡』碑

  淀屋橋の南詰から土佐堀通を西に少し行った土佐堀川沿い緑地に「淀屋の屋敷跡」碑。

 京都・山城国の豪族の息子として生まれた岡本三郎右衛門常安伏見城の造営や淀川の堤防改修などの土木工事を請け負い、その後大坂の十三人町(現在の北浜、石碑の所在地)にて「淀屋」を名乗り材木商を創業、中之島の開発や堂島米市(米相場市場)を主体事業として様々な事業を手掛け「天下の台所」と称された大坂経済の基礎を形作った豪商で、幕府から「豪奢僭上の沙汰(町人の分限を超え贅沢な生活が目に余る)」で闕所を命じられた五代目・淀屋廣當の代には総資産が現在の貨幣価値に換算すると200兆円以上と今に伝わる桁違いの豪商ですが、本当の理由は100兆円以上の残高が存在した大名貸しに有ったと言われます。

 似たような話に、最近海の向こうのアリババグループ・馬雲さんが逢った様ですが、明治維新に大変貢献した淀屋の分家「倉吉・淀屋」の影響か、明治期のプロパガンダで幕府の強権性を象徴する大変な悪政の様に言われていて取り潰された淀屋には同情的な雰囲気が存在しますが私はそれ程の悪政とは考えず、そもそも江戸時代には国税と言う概念が存在せず取引される生産物や生産者には課税が存在しましが、商行為に対しては全く無税でその恩恵を受け米相場で巨万の富を築いた淀屋が現在の税制の中では存在しえたかと考ええると、何となく当然の帰結の様な思いも沸いてきます。

 

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淀屋米市のレリーフの様で、米俵が運び出されて船に積まれています。f:id:jotoyumekoi:20210601143439j:plain

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背景に大阪市役所。f:id:jotoyumekoi:20210601143505j:plain

臨時休館中の東洋陶磁美術館

 中之島バラ園に立ち寄った後「大阪市立東洋陶磁美術館」

 丁度「特別展・黒田泰蔵」と「特集展・柿右衛門―Yumeuzurasセレクション」が開催中の臨時休館で、二つの展示会は 7月25日(日)までの期間なのであと一回位緊急事態宣言が延長に成っても残り開期は有りそうですが、5月中に行こうと思ってた私としては結構気に成ってます。

 

臨時休館中。f:id:jotoyumekoi:20210526232627j:plain

中は真っ暗?なのかな。f:id:jotoyumekoi:20210526232636j:plain

それにしても人通りの多い中之島公園です。f:id:jotoyumekoi:20210526232646j:plain

第135回 特集展示『大阪市の新指定文化財 -平成28年度から令和2年度まで-』

 大阪歴史博物館の第134回目の特集展示「大阪市の新指定文化財 -平成28年度から令和2年度まで-」

 今回の特集展示では、「三木茂博士のメタセコイア化石標本」「大坂城跡本丸内出土の三葉葵文鬼瓦」「四天王寺英霊堂」「幕末大坂城湿板写真原板」「上方漫才・横山ホットブラザーズ」「大阪市電橋梁図」などが展示されていますが、何と今回は撮影禁止で、展示品の中で権利関係が存在するとすると〇山ブラザース位かな。

 

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特別企画展『動物絵画はお家芸 -大坂・森派の絵描きたち-』

 大阪歴史博物館の特別企画展「動物絵画はお家芸 -大坂・森派の絵描きたち-」です。

 昨年2月に開催された特別展「猿描き狙仙三兄弟 -鶏の若冲、カエルの奉時も-」が新型コロナ禍のため3日間しか開館出来なかったのでその代参として再構成した特別企画展で、出品点数は減らされてる様ですが今回は常設展示観覧券だけで鑑賞出来るので大変リーズナブルな企画展に成ってます。

 展示作品の中では、展示作品数も多くやはり森三兄弟の末弟・森狙仙の猿図が目に付き、緻密な描写力や観察眼には「猿描き狙仙」の名に相応しい画力を感じさせ、現在では森狙仙の名声に隠れた兄・陽信と周峰の多様性に富んだ作風にも興味は尽きません。

 今回の展示会では、森狙仙の作風に影響を与えたという丸山応挙の「遊鯉図」「双鶴図」「波濤図」3点が森派前史にジャンル分けされ展示されていて全体に重厚さが増しています。

 

撮影禁止なので写真は此処まで。入口に置かれてるのは顔出し看板。f:id:jotoyumekoi:20210423200824j:plain

新館長のご挨拶。f:id:jotoyumekoi:20210423200815j:plain

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