大阪光の饗宴『御堂筋イルミネーション2021』

 「大阪光の饗宴」三つのコアプログラム中一番面積も広くてメインプログラムともいえる御堂筋エリア「御堂筋イルミネーション2021」

 以前と違って年内31日23時までのライトアップですが、お正月に見たって気の抜けたサイダー的印象だったのでメリハリが効いててこれで良いと思います。

 

今回は難波から北に向かうので高島屋前が始まりです。f:id:jotoyumekoi:20211222145829j:plain

建て替えられた新歌舞伎座前。f:id:jotoyumekoi:20211222145839j:plain

ここ数年の年末は暖かくてイチョウの葉っぱが落ち切って居ませんでしたが、今年は粗方落葉してます。f:id:jotoyumekoi:20211222162521j:plain

ハザードだけが残され白骨を晒してる様な印象を何時も受けます大丸前。f:id:jotoyumekoi:20211222145851j:plain

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虎の絵馬が並んだ難波神社f:id:jotoyumekoi:20211222145927j:plain

船場センタービル、最初のライトアップと同じイルミネーションかな?f:id:jotoyumekoi:20211222145938j:plain

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北御堂。f:id:jotoyumekoi:20211222150002j:plain

ウィンドウに浮かぶイルミネーション。f:id:jotoyumekoi:20211222150014j:plain

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赤いツリーに星が降る~。f:id:jotoyumekoi:20211222150035j:plain

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黄色いツリーにも星が降る・・。f:id:jotoyumekoi:20211222150058j:plain

御堂筋odona、年末の「茅の輪」の様に感じますね。f:id:jotoyumekoi:20211222150109j:plain

中之島を超えて梅田まで続いています。f:id:jotoyumekoi:20211222145818j:plain

OSAKA光のルネッサンス2021・プロジェクションマッピング『WALL ALONG』

 東洋陶磁美術館壁面に投影されるプロジェクションマッピング「WALL ALONG」。

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OSAKA光のルネッサンス2021・大阪芸術大学 学生制作『希求の唄 vol.2 ~with corona コロナ禍の中で~』

 力強く海を泳ぐクジラのオブジェで、やがて訪れる明るい未来を表現してるそうで大阪芸大生制作。

 雨予報で、一部シートが被せて有るのが少し残念。

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隣の「BIGスノーマン」です。f:id:jotoyumekoi:20211218153114j:plain土佐堀川f:id:jotoyumekoi:20211218153044j:plain

OSAKA光のルネッサンス2021『中之島イルミネーションストリート』

 コリもせずに今年もやってる「大阪・光の饗宴」、飽きもせずに今年も見に来てます・・、と言っても昨年はまだ明るい準備中に通っただけなんで、ゆっくり見るのは2018年以来に成ります。

 毎年コアプログラムに位置付けされてる今年の中之島エリアは、プロジェクションマッピングのスクリーンが中央公会堂から、今年整備された中央公会堂前の広場を利用した東洋陶磁美術館の横長壁面に移り、これまでのクラシカルなイメージから軽快でポップな印象を受けます。

 中之島エリア全体の広さもバラ園が会場から外れ、半分弱位の印象とボリューム感ですが、中之島エリアが狭く成った分、個別のエリアプログラムは大阪市内8ヶ所と大阪府下10ヶ所に広がり、期間も年明け後まで設定されてるエリアも合って、厚みと奥行きを持ったイベントに育ってきてるんですね。

 

栴檀木橋から大阪市役所。f:id:jotoyumekoi:20211217032928j:plain

大阪市役所正面イルミネーションファザード。f:id:jotoyumekoi:20211217032947j:plain

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大阪市役所南土佐堀川沿いケヤキ並木の「中之島イルミネーションストリート」。f:id:jotoyumekoi:20211217032938j:plain

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中之島図書館横です。f:id:jotoyumekoi:20211217033048j:plain

中甚兵衛翁碑

 近鉄けいはんな線・吉田駅の少し北に有る今米公園内に「中甚兵衛翁碑」が建ってます。

 大阪で1914年に陸軍の大演習が行われた際、行幸された大正天皇より過去に遡って地元の功労者に叙勲があり中甚兵衛に対し、従五位が送られたのを記念して翌年有志により建立されました。

 当地には元々春日神社が存在しましたが、折しも1915年少し北の吉原・粟原神社に合祀され建碑用地を検討中の「中甚兵衛翁碑」が、春日神社跡地に建立されました。

 月日が移り、同地が中甚兵衛 関係者には事前の連絡も無く1968年突如として東大阪市より公園用地の指定があり遊具等が設置され児童公園と成り、合祀されてた春日神社は1983年公園代産地に移り今米春日神社として今米の地に帰村復社しています。

 石碑前の2基の顕彰板は、2004年の東大阪市大和川付け替え300年祈念事業」のさい古い顕彰版を撤去した後 新たに設置された顕彰板だそうです。

 以下は、東大阪市によって設置された中甚兵衛 顕彰版の顕彰文。

 

 江戸時代の初め、河内平野を幾本にも分かれていた大和川は、土砂の堆積により川底が上がり始め、度々洪水を引き起こしていました。
 寛永16年(1639)今米村に生まれた甚兵衛は、明暦2年(1656)父が亡くなった後、河内各地の庄屋とはかり、大和川を柏原よりまっすぐ西に付け替えるよう再三幕府に訴えました。しかしながら、新川筋にあたる村々より強い反対が起こることも合って、幕府は付替えをなかなか受け入れず、何回も淀川と合流する辺りからの大坂河口の改修を行うことで対処しました。
 元禄12年(1699)大坂河口の治水工事も終了しますが、河内平野の村々の状況はいっこうに改善されず、その翌年・翌々年と大水害が続き、年貢は全く収められないことにもなりました。ついに幕府は方針を転換、付替えを担当することになった堤奉行の万年長十郎のもとに、甚兵衛は何度も罷り出て意見を具申しました。
 こうして元禄16年(1703)10月、付け替えが決定しました。この時甚兵衛は66歳、運動開始から50年近くが経っていました。
 付け替え工事のあいだ(翌年2月~10月)、甚兵衛はその力量を認められて普請御用を勤め、工事完成後、功績により名字帯刀を許され中甚兵衛を名乗りました。翌宝永2年(1705)に剃髪、法名乗久を名乗り、享保15年(1730) 9月、92歳で亡くなりました。
 この石碑は、大正3年(1914)陸軍の大演習が行われたのを記念して有志により建立されたものです。
                       平成16年10月 東大阪市

 

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「贈従五位中甚平翁碑」と刻まれ、
大久保利通の三男で当時の大阪府知事「大久保利武」書と有ります。f:id:jotoyumekoi:20211212170152j:plain

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【大阪歴史博物館】第139回 特集展示『新発見! なにわの考古学2021』

 毎年10月から12月まで、大阪歴史博物館で開かれてる (一財)大阪市文化財協会の一年間の主に大阪市内での発掘成果の展示会「新発見! なにわの考古学2021」

 新発見!と銘打ってますが、今回は特に目新しい成果は無く、やはり新型コロナ禍で活動がままならなかったな~、と言う印象です。

 新型コロナ禍もそろそろ終息の気配を感じますが、来年度の成果に期待しましょう。

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特別展『難波なにわをうたう -万葉集と考古学-』

 大阪歴史博物館の特別展「難波なにわをうたう -万葉集と考古学-」

 万葉集をひも解きながら、発掘調査で明らかにされた建物跡や祭祀の場、当時の暮らしや儀礼で用いられていた様々な出土品を手がかりにして古代の難波に迫る特別展、万葉歌が墨書された木簡などが多数展示され見応えの有る特別展に成ってます。

 展示の中で面白かったのが、難波宮難波京を明確に区別している点で、これまでの通説では難波の都は宮殿と官衙それに付随する倉庫群のみの「京」すなわち街並みの存在しない都とされていましたが、条里制の推定図まで展示されていて発掘調査もかなり進んでいる事が想像できます。

 開期もあと数日、万葉集がテーマと有って入場者には中年の女性が目立ち、平日にも関わらず珍しく多数の入場者で賑わってました。

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会場内撮影禁止なので写真は此処まで。f:id:jotoyumekoi:20211204112618j:plain

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