ピースおおさか『大阪国際平和センター』

 蝉の鳴く声が聞こえだすと何となく気に成る施設、通称「ピースおおさか」、正式名称は「大阪国際平和センター」という大阪市大阪府の出資により1991年に開館した財団法人です。

 サブテーマに「大阪空襲を語り継ぐ平和ミュージアム」と有り、1944年12月から1945年8月まで大小合わせて50回以上、数百機のB-29が来襲した大阪大空襲とされる爆撃でも第1次から第8次まで計8回を数え、約1万5000人もの犠牲者を出し、大阪市内中心部は一面 焼け野原・廃墟と化しました。

 その大阪空襲の記憶を繋ぎ、戦争に付いての記録資料を残す役割を担った施設です。

 

入口正面の「1945年の母子像」。
戦火に逃げ惑う母子の姿。

左の半地球儀はタイムカプセル。
終戦100年後の2045年に開かれます、

焼け野原の大阪。

高射砲で撃墜されたP-51 のプロペラ。

B-29 から投下されたM69焼夷弾のレプリカ。

M66・通称1トン(2000ポンド)爆弾のレプリカ。

撃墜されたB-29の一部。

東住吉区田辺に落とされた模擬原子爆弾「パンプキン」。

防空壕

大阪市内の空襲被害図。

右に中庭の「刻の庭」。

空襲の模様がテーマの絵が展示された通路を2階へ。

2階展示へ。

戦時下の大阪のくらし。

各配給切符。

召集令状と兵士の手紙。

戦時下に小学校、机にモニターが嵌め込まれていて展示関係の検索ができます。

奉安庫。

戦時下の広告。

軍用水筒。
親父が、命を救ってくれたと大事に使ってた軍用水筒と同じ水筒です。
勿論親父の水筒には穴は空いてません。

3階の映像コーナー。

同じく3階の図書室。
映像コーナー共々利用には事務室を訪ねないといけません。

大阪歴博・第142回 特集展示『戦争と福祉・ボランティア -田中半治郎の遺品から-』

 大阪歴博では、陸軍歩兵第八聯隊入営中日露戦争に従軍し、除隊後方面委員を務められた田中半治郎(1882~1930)さんと云う方の遺品を所蔵していて、今と成っては貴重な遺品の数々が展示されています。

 方面委員と云うと現在の民生委員と対比されますが、方面委員は米騒動の後大阪で生活困窮者救済や地域の社会福祉事業を目的とする名誉職委員として発足してますが、任命され活動されていた方々の前職は退役軍人か退職警察官が多く、やはり情報収集などの役割を担っていた可能性は否定されず、戦後GHQによって隣組などと共に解散させられ、欧米のソーシャルワーカー的概念を取り入れ新たに発足した民生委員制度とは、似て非なる制度では無かったかと私は思っています。

 

大阪市中央公会堂『特別室』見学

 大阪大学の「モダン中之島コレクション展」関連シンポジウム会場が、3階の中集会室なんで密かに期待してました隣の特別室見学

 特別室は貸し出されているので貸出予約が入っていれば当然見学出来ませんので、貸出優先なのかイベント告知には見学会の記載はされて無かったので、久しぶりに素戔男クンにお会い出来参加して結構満足感が沸いて来てます。

 

北側壁画、中央は「素戔嗚尊スサノオノミコト)」。
商いの神様として居る処は大阪らしさです。

日本神話「くにうみ」を題材に天井画「天地開闢」画:松岡 壽。

天井画と扉の間、木陰に「仁徳天皇」。

南側の壁画。
中央に「太玉尊(フトダマノミコト)」、忌部氏の祖とされ物作りの神様として、ここでは工業の神様。

鳳凰大阪市の市章「みおつくし」を模ったステンドグラス。

講演の中で橋爪先生が言われていた旧豊国神社参道。

国産の大理石タイルを敷き詰めた床。

特別室は3階中集会室の隣です。

『モダン中之島コレクション展』関連シンポジウム『歴史の可能性を可視化するー再現される大阪市中央公会堂コンペ案』

 4月28日から池田市石橋の大阪大学総合学術博物館で開催中の第16回特別展「モダン中之島コレクション “大大阪” 時代の文化芸術発信センター」の関連シンポジウム「歴史の可能性を可視化するー再現される大阪市中央公会堂コンペ案」です。

 関連シンポジウムとしては3回目で、前2回が阪大学内の待兼山修学館での開催でしたが今回は大阪大学発祥の地ともいえる大阪市中央公会堂で、参加定員も大幅増加に成っていて参加。

 今回のテーマが「歴史の可能性を可視化するー再現される大阪市中央公会堂コンペ案」と言う事で、中央公会堂の設計コンペに応募された13コンペ案を残された資料から検証、第2講では13コンペ案のうち武田五一案、矢橋賢吉案、中条精一郎案、伊東忠太案、大江新太郎案の5作品原画をフォトショで現代の風景と合成して、採用された岡田信一郎の案と現風景とを比べて見ると云う試みが大変興味深く、色付けなど合成画製作者の外連味タップリの遊び心も発揮されていて、時間や残された資料の制約から5作品の合成しかされて無いのが残念でした。

 石橋の展示会場では、武田五一と矢橋賢吉の透視画原画が展示されてるそうで、久しぶりに石橋まで行って見ようかなと思ってます。

 

【大阪府公文書館】令和4年度上期企画展示『所蔵資料からみる 明治時代の大阪』

 大阪府公文書館の所蔵資料による上期企画展示です。

 テーマが「所蔵資料からみる 明治時代の大阪」と言う事で時節柄大阪万博に絡めてか「第5回内国勧業博覧会」関係の資料展示が中心に成ってますが、先日見掛けた館報「大阪あーかいぶず」で、昨年12月に尋ねた東大阪市の「川中家」の文書目録が展示されていて、お話をお聞きした川中家の方は所蔵古文書は全て大阪府に寄贈したと言われていたのを思い出し近くなんで見学。

 166件の簿冊が収蔵されてるそうで、予約して置くと閲覧出来るので「近世」と「近代」の2冊にまとめられた文書目録を閲覧してから面白そうな資料が有れば閲覧して見たいですね。

 

川中家文書目録。

収蔵されてる資料の中で一番閲覧申し込みの多い資料が「神社・寺院明細帳」だそうです。

大阪府鳥瞰図(ちょうかんず)」(吉田初三郎画、1932年)常設展示です。

今昔館・企画展『漆造形の旗手 栗本夏樹の世界』

 新型コロナワクチン3回目から一か月弱、中和抗体価も高く成った処で、梅雨入り早々梅雨の晴れ間に、今昔館の企画展「漆造形の旗手 栗本夏樹の世界」です。

 作者の栗本夏樹さんは、京都市立芸大美術学部漆工専攻の教授だそうで、色々な素材を漆で仕上げた造形物が並んでます。

 欧米では陶磁器はチャイナ、漆器はジャパン、と呼びますが、今展示会の作品群もジャパンと呼ぶのかな~。

 

【大阪歴史博物館】第142回 特集展示『タイルとおおさか -日本における「タイル」名称統一100周年-』

 大阪歴博142回目の特集展示は「タイルとおおさか」、今年は1922年4月12日に東京上野で開催された全国タイル業者大会で「タイル」という名称に統一された日から100年周年に成り、それを記念した展示会などが名古屋の窯業メーカーを中心に各地で開催されていて、それにテーマを得て大阪歴博の特集展示です。

 日本でタイルが使われだした明治・大正期頃では「敷瓦」「化粧煉瓦」「貼付煉瓦」など様々な名称で呼ばれていたそうで、それを英語名称の「タイル(tile)」に統一され、今日では誰でもタイルと言えば同じ様な物が思い浮かぶと思います。

 欧米では、イスラムやヨーロッパの古タイルはアンティークタイルとして美術館・博物館や個人の収集品として骨董品的扱いがされていて、日本ではタイルの歴史が浅くその様なフィールドは存在しませんが、大阪歴博では今は無き大阪市内に存在した有名建築物の外壁タイルなど解体時などに寄贈を受けていて、今回はその一部の展示で、懐かしくも有り個人的にも感慨深い 展示会では有ります。

 

全体が三部構成に成ってます。

大阪歴博らしく遺跡から出土したレンガから始まります。

泉布観暖炉タイル。

阪大病院タイル。

明治期、瀬戸で生産された「本業敷瓦」。

旧八木通商ビルの外壁タイル。

旧八木通商ビルのテラコッタ

ダイビル本館のスクラッチタイルとテラコッタ

生駒ビルのスクラッチタイル。

左は大阪市交通局旧庁舎、右は府立天王寺高校のスクラッチタイル。

大阪市交通局の階段タイル。

左は阪急百貨店外壁、右は宇治電ビルのテラコッタ

阪急百貨店大食堂タイル。

近鉄百貨店阿倍野店外壁タイル。

左は府立天王寺高校、右は府立北野高校玄関タイル。

大阪市立愛日小学校タイル。

左は大阪放送会館、右は大阪朝日ビル外壁タイル。

日本放送協会大阪放送会館外壁テラコッタ

美章園温泉タイル。

フェニックスモザイクタイル。

フェニックス・モザイク「糸車の幻想」。

双葉温泉タイル。

第3章は建築家・中村順平さんのお仕事。

山口銀行本店レリーフ

山口銀行旧名古屋支店タイル。

山口銀行旧名古屋支店モザイク「鬼瓦」。

山口銀行旧名古屋支店モザイク「鯱」。

山口銀行旧名古屋支店モザイク壁面。

山口銀行旧名古屋支店モザイク「加藤清正」。

山口銀行旧名古屋支店モザイク「従者」。

会場です。

大阪歴博・特別展『~浮世絵師たちが描く~ 絶景!滑稽!なにわ百景!』

 大阪歴博特別展「~浮世絵師たちが描く~ 絶景!滑稽!なにわ百景!」です。

 大半の展示品はネットでも公開されててDLも出来る物も多いのですが、江戸後期から明治の展示品は退色も控えめで全体に鮮明なので原作品に近いと思われ、やはり実物を見てみる価値は有ります。

 数日前のNHK「ほっと関西」で、若い女性レポーターが頓珍漢な紹介をしてて結構気にも成ってましたが、展示は当たり前ですが頓珍漢では有りません。

 展示品の中で、明治22年(1898年)上町大地の西縁、現在の生玉公園辺りに有った高さ18m木造漆喰塗富士山型の展望台「浪花富士山」の大きな写真パネルには結構感激しますね。

 しかし、木造漆喰塗の展望台に「浪花富士山」と名付けて名所にしようとした大阪人の発想力には、色んな意味で脱帽物です。

 展示期間中入れ替えが有るそうで、「浪花百景」は2回、全体で1回展示替えが行われて16日は前期の最終日、定休日を挟んで18日から後期展示に移りますが23日から「浪花百景」2回目の入れ替えが有るので、その頃再度来て見ようかなと思ってます。

 

入口に撮影ポイントが置かれてました。