幽霊子育て飴(みなとや 幽霊子育飴本舗)

 六道珍皇寺から松原通を西にすぐの処に「みなとや 幽霊子育飴本舗」

 埋葬された女性が子供を産んで、近くの飴屋から木の葉の三文銭で水飴を買い育てていて、その女性の亡骸の上で泣いてた子供は寺に預けられて、後に高僧に成ったというお話が元に成った「幽霊子育て飴」。

 似た話は幾つか有って、江戸時代中期以前亡くなった遺体は風葬地に置いてくるだけで損傷してないので、この様な事も可能だったんでしょうね。

 その風葬地は、この地「鳥辺野」だと言う事ですが少し東の高台寺とも言われ「子大事」と落ちまで付いてます。

 幾度か前を通った事は有りますが、この日は立ち寄って「幽霊子育て飴」税込み500円お持ち帰りです。

 

300円のは売り切れなので500円。

大椿山『六道珍皇寺』

 東大路通から松原通を西に、坂道を少し下りた処で「大椿山・六道珍皇寺」

 創建は平安前期の782年~805年、門前から少し西の西福寺辺りまでが平安時代は「鳥辺野」と呼ばれた風葬の地で、仏教でいうあの世とこの世の境目「六道の辻」とされます。

 創建当時は愛宕寺(おたぎでら)と呼ばれた「六道珍皇寺」の開基は、空海の師慶俊建立説・空海建立説・小野篁建立説・鳥部氏の宝皇寺後身説・山代淡海氏建立説など諸説あり定かでは有りませんが、当初は東寺真言宗に属し鎌倉時代以降の荒廃で建仁寺から聞溪良聰が入山して再興し建仁寺臨済宗に改宗現在に至っています。

 平安時代初期の公卿「小野篁公」との関係は、「小野篁公」が昼間は朝廷、夜間は冥府にて閻魔大王に仕えていたと言う伝承から「小野篁公」が冥府への入り口とした「冥土通いの井戸」が当寺に存在したとされ、2011年には出口ではないかと言われる「黄泉がえりの井戸」が六道珍皇寺に隣接する北側の旧境内で見つかり、京の冬の旅・非公開文化財特別公開時には一般公開されてる様です。

 しかし、現在の様な地面を縦に深く堀下げる井戸の工法「上総掘り」の工法が確立したのは江戸時中期以降で、それ以前の「掘り抜き」ではそれほど深くは無いので「小野篁公」の「冥土通い・黄泉がえり」の伝承の発祥は意外と新しいのかも知れないですね。

 

門前の「六道の辻」の碑。

三界萬霊供養塔。後に本堂。

謡曲「熊野」の一節が刻まれています。

「薬師三尊像」が祀られている本堂。

本堂裏の小野篁公「冥土通いの井戸」が覗けます。

本堂の裏に有る様です。

地蔵堂

大石地蔵尊

迎鐘(鐘楼)。
改修されたのか朱色で奇麗に成ってます。

「閻魔堂・篁堂」、弘法大師小野篁公、閻魔大王が祀られています。

「薬師堂」。
本尊である薬師如来坐像が安置されています。

豆八茶屋で親子丼

 建仁寺から安井金比羅宮まで無駄に歩き回ったので、足がそろそろ限界近くで東大路通に出た所、高台寺通入口の大きな鳥居そば角の店名も見ずに、ただただ座って休みたいのでカフェへ。

 税込み900円で少し高いなと思いながら親子丼を注文、丼物と一緒に出てきた汁物が美味で、帰り際レシートで店名見てると「豆八茶屋」と有って汁物は「ぶぶ豆腐」、店名から察するに豆腐料理とおばんざいの先斗町「京都 豆八」の姉妹店の様で、「ぶぶ豆腐」は先斗町の「豆八」で出てくる「豆乳湯豆腐・ぶぶ豆腐」と同じ味でした。

 最近出来たお店らしくお正月の込み具合を聞いても知らないそうで、以前来た時には無かった様な覚えが有りますが、「ぶぶ豆腐」付きだと900円は高くはないので、今度来た時も是非立ち寄りたく成ってます。

 

右のお椀が、豆乳湯豆腐「ぶぶ豆腐」美味です。

東大路通から高台寺通入口の大きな鳥居。
どこの鳥居なんでしょうか、この上の神社と云うと「京都霊山護国神社」かな。

東大路通から八坂通法観寺五重塔が見えます。
私は少し南の松原通を西に「六道珍皇寺」に向かいます。

安井金比羅宮

 大和大路通の「かぎ甚」で買い物の後建仁寺を東に抜けて、縁切り縁結びの「安井金比羅宮」に向かいましたが、建仁寺を抜けるのに一苦労の後、「安井金比羅宮」までの細くすぐ曲る道をあっちへ行ったり同じ所を行ったり来たりで、少し遠回りでも八坂通から東大路通に出た方が良かったと思ったのは後の祭りでした。

 「安井金比羅宮」は、天智天皇の御代に藤原鎌足が一堂を創建し、藤を植え藤寺と号して一族の繁栄を祈った事が始まりとされ、時代は移り藤を愛した崇徳天皇が阿波内侍を住まわし保元の乱に敗れた崇徳上皇が讃岐に流された後、阿波内侍は自筆の御尊影を観音堂にお祀りし、その後大円法師が御堂に籠った際に崇徳上皇がお姿を現わし、その事を聞きつけた後白河法皇が光明院観勝寺を建立したのが当宮の起こりと言われます。

 光明院観勝寺は応仁の乱により荒廃しましたが、1695年に当初の太秦安井(京都市右京区)から当地に移建され、その鎮守として崇徳天皇に加えて、讃岐の金刀比羅宮大物主神と、源頼政公を祀り「安井の金比羅さん」の名で知られ、明治期の廃仏毀釈で光明院観勝寺は廃され「安井神社」と改称し、更に「安井金比羅宮」と改め現在に至っています。

 御祭神は「源頼政公」「崇徳天皇」「大物主神」の三神がお祀りされています。

 細い道を迷った後、北の鳥居より境内に向かいますが拝殿前には長い行列が・・、年末なのにお詣りされる行列かと思い驚きましたが、若いアベックばかりの行列で「縁切り縁結び碑」を潜る順番待ちで、行き戻り潜って碑に願いを書いた「形代」を貼るので時間がかかる様です。

 この後は食事をして、八坂通を西に戻って「六道珍皇寺」と「六波羅蜜寺」を巡って京阪・清水四条駅から帰ります。

 

やっと北の鳥居が見えて来ました。

末社の三玉稲荷社の鳥居から境内へ。

安井天満宮

厳嶋社、三玉稲荷社、三社の御社。

拝殿から奥の本殿。

 形代に願いを書き、形代を持って願い事を念じながら裏へ潜り表へ潜って形代を形代を碑に貼ります。

 一人の女性が潜ってますが、この方は縁切りでしょうか縁結びでしょうか?

縁切り縁結び碑。

金比羅会館。

南の鳥居。

道幅の広い東大路通りに面した東鳥居。

京都井伊美術館

 安井金毘羅宮に向かう手前で「京都井伊美術館」

 戦国時代をテーマにした大河ドラマ、特に「おんな城主 直虎」放映時には良く収蔵品がTV番組などで紹介され、その後の「麒麟がくる」でも明智光秀に所縁のある甲冑や刀剣が収蔵されているので話題に上がっていた美術館で、日本唯一の甲冑武具・史料考証専門の美術館だそうです。

 館長は、彦根・井伊家の分家で与板藩主家の18代当主・井伊達夫さんで、甲冑・刀剣史学研究家として知らた方です。

 戦国時代や歴史好きには良く知られた美術館ですが、場所までは存じなくて少しビックリしてます。

 一般公開されてる美術館ですが、不定期開館だそうで基本的に事前アポを取らないと見学出来ない様なので今回は表だけですが少し残念!

 

京都東山・大和大路通

 京都のまち歩きでは、東西南北に碁盤の様に通ってる通りを可成りの距離歩きますが、今回の「京都歳末十二支パワースポット巡り」では廻るポイントを決めて有るので、長々と通りを歩く予定は有りませんが、京都ゑびす神社から建仁寺に戻る途中「大和大路通」を少し歩きます。

 

大和大路通

京の桶司「京風・おけ庄」

京風・おけ庄「林常二郎商店」。

楠本彦三郎商店。

戸田畳店。

伝統工芸・京畳「戸田畳」。

京和菓子の「かぎ甚」

和食「祇園八軒」。

このまま四条通(八坂神社参道)まで歩きたいですが、右の建仁寺に戻ります。

御菓子司『かぎ甚』

 京都ゑびす神社からに出た処で御菓子司「かぎ甚」

 「かぎ甚(旧店名・鍵甚良房)」は、享保年間(1716年-1736年)に創業した祇園「鍵善良房」から、1921年に番頭さんが独立したお店で、当代で四代目に成るそうで100年を超える京和菓子の老舗でも有ります。

 近くに来たのでお正月用の上生菓子が欲しくて立ち寄りましたが、店内も何となく雑然としていて、幾ら呼んでもご当主が出てこず出てきた処でウインドウを見てると今日はこれだけしか無いとの事で、察するにクリスマス前のケーキ屋さん状態の様で31日に納品する注文の品を大忙しで製造中と云う処でしょうか、なので4種類並んでた上生菓子の中から「峰の雪」「黄梅(つくね芋きんとん)」「試み餅」の3種を購入、中でも欲しかった「峰の雪」が買えたのでソコソコ満足でした。

 

鍵善良房から続く「菊寿糖」と名付けた干菓子の木型が並んでます。

かぎ甚の「菊寿糖」は1954年の第13回全国菓子大博覧会にて金賞牌受賞したそうです。

京都ゑびす神社(恵美須神社)

 禅居庵から大和大路通に出て北に向くと鳥居が見えてくる「京都ゑびす神社」主祭神今宮戎神社と同じ「八重事代主大神」と「大国主大神」「少彦名神」。

 1202年(建仁2年)栄西禅師が建仁寺を建立するにあたり、その鎮守社として創建明治期の神仏分離令建仁寺と別れ現在の形態に移り、登記上の宗教法人名は恵美須神社

 栄西禅師が南宋から帰国する際、暴風雨から守ってくれたのが恵美須神で、主祭神として勧請しお祀りされたと伝わり「旅ゑびす」とも呼ばれ、交通安全の神としても良く知られています。

 えびす信仰は西日本の特に近畿地方が中心ですが、「日本三大えびす」に数えられ「都七福神」にも加えられてる「えべっさん」で、毎年「十日えびす」時には参拝者が境内を溢れて、大和大路通を北に八坂神社参道まで及ぶという盛況で、コロナ過も収まりかけてる2023年にはその様子が再現されそうです。

 

京都市設置の駒札がアルミ板に成ってる。

 二之鳥居のえびす神に取り付けられた金網が張られた熊手にお賽銭を投げ入れるのが当神社独特の風習です。

 最初に参拝者がえびす神顎下の金網に投げ入れてたのを宮司さんが入り易い様に熊手を取り付けてから良く知られる様に成ってます。

十円玉以上の重さが無いと上手く入りません。

ここはまだコロナ予防の為、手水に水は溜められてません。

「十日えびす」のお賽銭投げ入れに備えてて御祭神は伺えません。

小松天満宮

左は「白太夫社」。

右は「岩本稲荷大明神」。

財布塚と名刺塚。