京都

北野天満宮・筋違いで『地主神社』

北野天満宮本殿にお詣りするには、一之鳥居から参道を桜門をくぐった所花手水前を左に曲がり筋違いの参道に出ます。 筋違いの参道へ向かわず真っすぐ進むと赤い御社「地主神社」に突き当たります。 この筋違いの参道は、もともと北野天満宮がこの地に創建さ…

京都歳末十二支パワースポット巡り・辛丑『北野天満宮』

今年もあと1日、年の瀬も押し詰まった30日 全国天満宮総本社「北野天満宮」に来てます。 受験生も居ないのに何で「北野天満宮」に来てるかと言うと、毎年松の内か立春ごろにはその年の十二支にちなんだ神社かお寺にお詣りしてるんですが、今年の年初に天神さ…

出町柳の『鯖街道口』碑

加茂川に架かる出町橋西詰袂に「鯖街道口」の碑。 この地を起点に高野川左岸を北上して、八瀬・大原、近江国朽木から越前小浜へ至る若狭街道、古くから越前・若狭の海産物を運ぶ街道で有った若狭街道を傷みの早い鯖を夜通し運んだ事から何時しか「鯖街道」と…

J.N.ハリスと同志社

同志社大学今出川キャンパスにあるハリス理化学館。 2013年ハリス理化学館同志社ギャラリーに改組され、その一室に「J.N.ハリスと同志社」と題した展示が行われています。 当館名称の謂れと成っている「J.N.ハリス」さんですが、お雇い外国人の研究者では無…

第23回ハリス理化学館同志社ギャラリー企画展『平安遷都前の京都盆地 ー飛鳥・奈良時代のムラと寺ー』

洛北の赤山禅院の帰り、同志社大学今出川キャンパスに廻ってきて同志社大学ハリス理化学館同志社ギャラリーの第23回企画展「平安遷都前の京都盆地 ー飛鳥・奈良時代のムラと寺ー」です。 同志社大学歴史資料館が行ってきた今出川キャンパス内の発掘調査で発…

『二条家邸跡』碑

赤山禅院から叡電で出町柳駅に出て同志社大学に向かいますが、今出川通り沿いの同志社女子大正門横に「二条家邸跡」碑が建ってました。 石碑側面に平成二十五年二月と刻まれていて、私が以前通った時(2012年)には存在して無かった様です。 二条家とは、藤…

出町妙音堂『辨財天』

赤山禅院から出町柳駅に戻ってきて何時もだと京阪の出町柳駅から地上に出ますが、今回は叡電の出町柳駅なんで京阪・出町柳駅よりは少し北に成ってて鴨川では無く高野川と加茂川合流点から少し北で、高野川を河合橋、加茂川を出町橋で渡り西に向かいますが、…

紅葉の『赤山禅院』

京都洛北・紅葉の名所「赤山禅院」。 皇城表鬼門・比叡山延暦寺の塔頭、本尊の駒滝不動尊は陰陽道の祖神「泰山府君」を勧請したもので、神道や陰陽道、道教なども集合する不思議な仏教寺院で、京都御所の表鬼門を守護しています。 毎日ご覧になってる僧職の…

修学院離宮

赤山禅院に向かう途中少し遠回りして「修学院離宮」へ。 思った通り一般参観が再開されてて午前中2回目の11時からの参観者受付が始まってました。 責任者らしき女性にお話を聞いたら3ヶ月先まで受付可能で、12月はすべて終了、2月もすでに予約が入ってるそう…

白川通から修学院離宮道

11月も後数日、以前から行って見たかった比叡山延暦寺の塔頭、京都洛北の「赤山禅院」へ、予定より1週間位遅く成りましたが冬が来る前に紅葉見物。 京阪・出町柳駅から叡山電鉄・修学院駅へ、北山通りを東に白川通りに出て北へ音羽川に架かる音羽橋を渡り修…

伏見奉行所跡

指月伏見城跡から西に、国道24号線を超えて京都市営桃陵団地入口に立つ「伏見奉行所跡」碑へ。 伏見奉行とは江戸幕府が直轄地経営のため置いた遠国奉行の内の一役職、伏見の町政・木津川の船舶の取り締まりおよび京都町奉行とともに近江国・丹波国の司法・行…

伏見工兵十六大隊跡・碑

京都市営桃陵団地入口、伏見奉行所跡碑の道を挟んだ向かい「伏見工兵十六大隊跡」碑。 現在は京都市営桃陵団地に成ってる伏見奉行所跡一帯は、鳥羽伏見の戦い後陸軍用地に変わり伏見練兵場が開かれ伏見親兵隊が置かれ、その親兵隊が1871年兵部省直属の親兵隊…

指月伏見城跡

2015年のマンション建設に先立ち行われた調査で判明した豊臣秀吉時代の指月伏見城遺構、調査の後埋め戻され後にはマンションが建設、その一角に堀東側石垣の一部を移築し展示されています。 伏見指月の伏見城と云うと、豊臣秀吉が関白位と政庁としての聚楽第…

京都吉田地図桃山販売所

京阪観月橋駅近くに今は活動を止めてる細密住宅地図で有名な吉田地図の桃山販売所が有ります。 表のウィンドウには、指月伏見城・城下大名屋敷の配置図が展示されていますが時間が有れば一度お話をお聞きして見たいですね。 指月伏見城・城下大名屋敷の配置…

松風山『西運寺(狸寺)』

京阪・観月橋駅から府道7号京都宇治線を東に200m、浄土宗知恩院派のお寺、本尊は阿弥陀如来、石段を上がった御堂には世継地藏菩薩が祀られています。 1596年に雲海大和尚が向島橋詰町に創建、1686年現在地に移転し以後度々住職が変わり一時は荒廃したが1883…

指月山『月橋院』

京阪・観月橋駅から府道7号京都宇治線を少し東に行った道路沿い「泰長老 地蔵堂」の府道を挟んだ向かい。 曹洞宗の禅寺、ご本尊は釈迦如来。 創建・変換の詳細は不明の様ですが、以下京都市の駒札に 当院は指月山月橋院といい後崇光院太上天皇(一三七二年~…

泰長老 地蔵堂

京阪・観月橋駅から府道7号京都宇治線を少し東に行った道路沿い、駐車場の一角にお化粧地蔵尊。 由緒謂れは地元の方に聞いてみないと分からないのですが、京都府宮津市周辺や福井県小浜市など日本海側と青森県津軽地方独特のお化粧地蔵尊、京都市内にも探せ…

6月21日は『本能寺の変』

1582年6月21日(天正10年6月2日)は本能寺の変です。 京都 本能寺に滞在中の織田信長を明智光秀が早朝襲撃した事件で、明智勢1万3000の内寄手の兵3000余騎に対する織田方は数十から最大でも200と云われ衆寡敵せず本能寺に火を放って織田信長は炎の中で自害し…

喫茶『築地』

「京都東山立春パワースポット巡り」も13000歩近く歩いたので祇園四条駅から帰ろうかと思いましたが、ここまで来たので四条河原町の1934年創業ウインナーコーヒー発祥のお店とも言われる「築地」で、撮ってきた写真でも見ながら一休みと思って鴨川を渡って河…

黄昏の四条通

今年の子年「京都東山立春パワースポット巡り」は、移動に距離が有るのでバス利用が前提なので少し遅めに出ましたが、立春とはいえ陽が落ちるのは早く黄昏の中 夜の帳が降りてきました。 歩道は雨に濡れてませんが、六八コンビの名曲「黄昏のビギン」を口ず…

京都四条『南座』

自分の意志で見るシーンや結末を決めることが出来る移動体験型 “南座版イマーシブシアター”「サクラヒメ」最終日開場時間直前で南座前は大混雑です。 「1階の観客席を全て取りはらい、舞台面と同じ高さにする南座の新機構 “フラット化” を活用し、舞台と客席…

寿福山『仲源寺』

四条通八坂神社参道・祇園商店街の中にある浄土宗の小さなお堂。 開山は平安中期、本尊は地蔵菩薩、当初は四条橋東北に祀られたお地蔵さんで防鴨河使・中原為兼がこの地蔵尊に止雨を祈願したところ雨が止み洪水も収まった事から中原氏の姓に人と水を加え朝廷…

祇園・花見小路

三条から白川 粟田口を廻った「京都東山立春パワースポット巡り」も「八坂神社」で無事終了、黄昏の夕闇に包まれだした四条通を西に、途中「花見小路」。 2011年の暮れ、送電線を地中埋設無電柱化された「花見小路」の見学に来た覚えが有りますが、あの頃か…

えびす屋・人力車

八坂神社南楼門前に「人力車」。 八坂神社周辺ではやはり西楼門前がメインらしく其方は3台か4台並んでました。 最近は有名観光地では良く見られる観光人力車、何社か全国に運営会社が有るようですが、京都嵐山が発祥で20年の歴史が有るこの「えびす屋」が京…

八坂神社

「京都東山立春パワースポット巡り」最後のパワースポット「八坂神社」。 主祭神は「素戔嗚尊」「櫛稲田姫命」「 八柱御子神」 の三神でスサノヲ一族が祀られて、明治初期の神仏判然令(神仏分離)以前は「牛頭天王 」「八王子」「頗梨采女」 と名前は変われ…

祇園会館

「京都東山立春パワースポット巡り」の終わり八坂神社に向かう途中に立ち寄り。 1958年完成、設計はカーテンウォールを多用した圓堂政嘉、正面 8m×18mの大タイル壁画の作者は建築家の中村順平、絵心の有る建築家で壁面彫刻や壁画に秀作を残し、祇園会館はタ…

浄土宗総本山・知恩院

青漣院から神宮通りを知恩院へ。 ちょうど16時を過ぎた処で三門は閉じられ参拝は叶いませんが、1212年法然上人入滅、門弟たちが終焉の地である大谷に廟堂を築き、1604年徳川家康が、粟田口の守りを固める役割を持たせ青蓮院の地を割き寺地堂舎を造堂、現在の…

青蓮院門跡

天台宗の三門跡寺院とされ門跡寺院らしく現在の門主は上皇の従兄弟・東伏見慈晃 師。 1788年「天命の大火」で御所内裏が焼失した折仮御所と成ったため「粟田御所」とも呼ばれ、日本三不動の1つ「青不動」の寺でもある格式の高い寺院と言えます。 御本尊は「…

粟田神社から神宮道

粟田神社二之鳥居前を少し西に出た処で神宮道を南に次のパワースポット「青蓮院門跡」まで。 今回の「京都立春パワースポット巡り」も「池田屋事変殉難志士墓所跡碑」に始まって「粟田神社」で八カ所目、そろそろ膝が限界ですが、ここから京阪で戻るとすると…

粟田神社

876年天皇に奏上された災いを封じる為、藤原興世が勅使として八坂神社に奉じお告げにより八坂神社の新宮として創建されたのが当神社、なのでご祭神は八坂神社と同じ素盞鳴尊 大己貴命を御祭神とされます。 古くから粟田口は「京の七口」と呼ばれ京都の東の玄…