小楠公義戦之碑

 京阪天満橋駅から大川沿いの道を西に「川の駅・はちけんや」の手前「小楠公義戦之碑」。

 「小楠公義戦之碑」とは、楠木正成が一子・楠木正行が、1347年(正平2年)11月、「瓜生野の戦い」に勝利し、山名時氏細川顕氏方の兵を渡辺橋まで追い詰めた「渡辺橋の戦い」で、溺れた敵方500名余りを助け上げ、手厚く看護を行った故事に因む碑で、皇紀2600年(1940年)記念に、大阪市東区教育会(教育委員会では有りません)が建立した碑だそうです。

 父親の楠木正成を大楠公、息子の楠木正行を小楠公と云うのですが、若い人はほとんど知らないとは思います(大阪四条畷神社の御祭神でも有ります)。

 以前NHKの大河ドラマで、「太平記」を放映して居ましたが、正成の扱いが余り大きく無くてがっかりしました。

 この時代は、正成達の事を「悪党」と云いますが、所謂悪人ではなく、中国からの銅銭の大量輸入で日本にも貨幣経済が根付いてきた時代で、武装した農民である武士中心の、農本位制の鎌倉経済ではなく、京都を中心にした貨幣経済の担い手としての「悪党」たちと云う事です。

 正成は武装した陸送業者で、後醍醐天皇隠岐の島から救い出した名和長年などは、武装した回船問屋と云う訳です。

 このまま続けると長くなるので、またの機会にユックリと書きたいと思います。

 

「水都大阪2009」八軒家浜会場工事の為、解体移動後再組み立てだそうで、コザッパリと綺麗に成りました。f:id:jotoyumekoi:20210301003237j:plain