大阪あそ歩『能「松虫」の舞台をめぐりながら』

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 大阪あそ歩『能「松虫」の舞台をめぐりながら』に参加しました。

 

 

 

 

 

 

 昔人の隠棲の場として、数々の物語・伝承に彩られた阿倍野ヶ原。小野小町安倍晴明北畠顕家といった歴史上の人物にまつわる旧跡も点在しています。
 かつてのこの地の風景を思い描きながらのそぞろ歩きは如何でしょうか?
                            
(大阪あそ歩HPより)

 

 「各ポイントでは能楽師が解説と謡を披露します。」という事ですが、集合場所の阪堺電車・松虫駅から能楽師の先生とご一緒です。

 

集合場所の阪堺電車・松虫駅。
能楽師の先生がガイドさんと待って居られたのにはいささか驚きました。

ガイド、サポーター合わせて、23~4名でしょうか。

 

「松虫塚」


最初のポイント

松虫塚の解説。
4つの言い伝えを示していますが、少し予備知識が無いと分り辛い様です。

 謡曲「松虫」は、能の分類では四番目物(雑能)という事で、男色ものだと言われる様です。

 酒飲みが、その友である若者が松虫の声に引かれて野辺に死んだと言って慕い悲しんだ話で、世阿弥の作だそうで、古今集から構想を得たとも言われます。

謡曲「松虫」を拝聴。

どの様な団体が管理されているのか、掃除も行き届いて大切にされて居る様です。

 

松虫塚の有る松虫通りから、熊野街道に入ります。

熊野街道を「安倍清明神社」に向かいます。

 

「安倍清明神社」です


次のポイント「阿部王子神社」の末社だそうです。

安倍清明像と白狐(葛の葉姫)。

安倍清明の母親、葛の葉姫。

 安倍清明神社という事で、謡曲は「鉄輪」(かなわ)です。やはり四番目物(雑能)に成ります。

 京都・貴船神社に願かけをした丑の刻参りのお話で、願を架けられた男が安倍清明にお祓いをしてもらうというお話で、安倍清明は人形(かたしろ)をもって祈祷を続け鬼を追い祓います。

謡曲「鉄輪」と安倍清明などの解説を拝聴します。

 京都は「清明神社」と有りますが、こちらは「安倍清明神社」で安倍清明生誕の地です。

 

「阿部王子神社」


安倍清明神社から熊野街道を南に少し云った所に有ります。

熊野街道、熊野詣で九十九王子社の第2王子社で、阿部氏の創建と云われます。

 詣内には、樹齢約500年以上の六本の大阪市・保存樹(楠の大木3本、楠木2本・榎1本、御霊木)が有ります。

阿部王子神社本殿。

 熊野王子社という事で、謡曲は熊野本宮を舞台とする「巻絹」に成ります。

 四番目物(雑能)に分類されますが、時に初番目物(脇能)として演じられる事も有る様です。

 三島由紀夫の「三熊野詣」でも引用されたお話で、和歌の徳をたたえ熊野の神々、音無天神の公徳を謡った曲です。

 音無天神と云えば音無の梅ですが、話が横道にそれますのでまたの機会に・・・。

謡曲「巻絹」と熊野詣の解説を拝聴します。

小さな社に水神さんが二神祀られています。
野江水神社の罔象女神(みつはのめのかみ)も祀られています。

阿部王子神社阿倍野筋に抜けます。普段良く見る阿倍野筋沿いの阿部王子神社

 

北畠顕家公墓


阿倍野筋を南に、北畠公園。

 北畠顕家公という事で、謡曲は「楠露」(くすのつゆ)。

 楠木正成、正行(まさつら)父子の別れを描いた曲で「青葉茂れる桜井の・・・」との歌でも有名な桜井の別れを謡った謡曲で、「楠露」という題は、松尾芭蕉が楠父子の別れをうたった俳句「なでし子にかかる涙や楠の露」から引用したと言われています。

 分類は四番目物(雑能)。

北畠顕家公のお墓。

 北畠顕家公の墓は堺市・石津にも有り、そちらは顕家の父、北畠親房が著した「神皇正統記」により、こちらは並河誠所が江戸時代に「太平記」などの伝承から提唱した物で、どちらかと云えば堺市・石津の方に信憑性が有る様です。

 花将軍と云われた顕家公は、鎮守府大将軍の官位を賜りますが、鎮守府将軍は五位相当の官位とされ、従二位の顕家公のみ鎮守府大将軍、或は鎮守大将軍を名乗ります。

北畠顕家公由緒記。

 

阿倍野筋を南に、次のポイント「播磨塚と小町塚」に向かいます。

 

播磨塚と小町塚


播磨塚に付いては、それ成りの謂れが有る様ですが、小町塚に付いては良く判らない様です。

 小町塚という事で、謡曲は当然「卒都婆小町」に成ります。

 物語は、卒塔婆に腰を下ろしている老婆を見て、高野山の僧が別の所で休むよう諭 すが、老婆は反論して僧をやりこめてしまう。

 実はこの老婆は小野小町の 化身であった。やがて小町に恋慕していた四位少将が老婆に乗り移るというストーリーですが、その地が阿倍野だったとは・・・・・知りませんでした。

 観阿弥作、七小町の一曲で、分類は四番目物(雑能・老女物)。

 双方元は小さな古墳で、別々の所に在った物を道路拡幅工事のため移転で、写真では良く判りませんが、トンデモナイ所に存在します。

播磨塚と小町塚。

 阿倍野筋から熊野街道に戻り、阪堺電車・北畠駅を横切り「阿倍野神社」に向かいます。

 

熊野街道

 

岸の五本松


大阪府立住吉高校向かい、住吉高校グランド金網に架かる由来書。

 岸の五本松で謡曲は当然「高砂」ですが、阿倍野神社にて詳しく語って戴ける様です。

 この辺り一帯は、往時は海辺で松林が茂って居たそうですが、今は三本を残すのみです。

 

阿倍野神社


東門から参拝します。

南門を入った辺り、北畠顕家公の像です。

阿倍野神社会館で少し休憩。ガイドのお話と能楽師さんの「能」の講義を伺います。

 謡曲ではたぶん「高砂」が一番有名ではないでしょうか。

 お話は、相生の松によせて夫婦愛と長寿を愛で、人世を言祝ぐ大変めでたい能ですが、

 高砂や、この浦舟に帆を上げて、この浦舟に帆を上げて、月もろともに出で潮の、波の淡路の島影や、遠く鳴尾の沖過ぎて、はや住吉(すみのえ)に着きにけり、はや住吉に着きにけり」

 という事で、歌詞に、このコースのガイドさん思い入れタップリの住吉が謳い込められています。

 分類は、初番目物(脇能)です。

能楽師さんの謡曲高砂」。

阿倍野神社本殿。

阿倍野神社由緒。

神社南門大鳥居。
北畠顕家公像前で能楽師さんのお話、顕家公や楠木正成南朝に纏わるお話を伺います。

本殿西側の「旗上総稲荷社」の鳥居の列。

鳥居の列中に有る、日本画家「生田花朝」の歌碑。
戦後は阿倍野区帝塚山に住まいされて居たそうです。

旗上芸能稲荷社。

阿倍野神社東門。「大日本は、神国なり」。

 今回は、尊敬するYUI企画・代表が以前より傾倒されている「能」をテーマにしたコースで、参加料3000円だと思っていたのが、1500円という事で参加して見ました。

 のっけから能楽師の先生が集合地点に居られたのには驚きましたが、全コース尊敬するYUI企画・代表は道案内役で、能楽師の先生がガイドをされるという事で、何時もと違って癖の無いガイドぶりは、馴染み易い金額的にもお得なコースでした。

 同コースのリピーターの方も居られましたが、内容を考えると頷ける様な気もします。

終点。南海電鉄岸里玉出駅