秋の京都・晩秋洛東パワースポット巡り『春日上通り 春日北通り』

 秋の寺町通り散策 Part 1 から寺町通りを西に、当初予定コースの春日上通りから春日北通りに入り「黒谷」に向かいます。

 春日上北通りは丸太町通りの1本北の東西に渡る通りで、南北の東大路通り(東山通り)挟んで西が「春日上通り」、東が「春日北通り」と云うそうですが、最近では距離の長い「春日北通り」に合わせてすべて「春日北通り」と呼ぶそうですが、それなら「春日通り」でも良い様に思いますが東京都心にも存在するので避けたのかな。

 これ以降は、1月「棟梁」と廻ったの洛東パワースポット巡りPart 1 Part 2 ほぼ同じコースを巡ります。

 

荒神橋から鴨川。東に渡ります。f:id:jotoyumekoi:20200909002126j:plain

荒神橋を東に渡った所「稲盛財団記念館」f:id:jotoyumekoi:20200909002137j:plain

春日上通り」を東に、正面「黒谷」。f:id:jotoyumekoi:20200909002150j:plain

「吉川眼鏡店」、日曜日のため休日の様です。f:id:jotoyumekoi:20200909002201j:plain

軒先に吊るされた「木看板」。眼鏡にはレンズがハメ込まれていました。f:id:jotoyumekoi:20200909002210j:plain

京漬物「高新」。 話付きの若い御主人から「ご隠居さんが」試食を頂きました。f:id:jotoyumekoi:20200909002221j:plain

  これまでは「春日上通り」、東大路通り(東山通り)を越えるので此処から先は春日北通り。

本家八ツ橋「西尾」。 栗餡と芋餡の生八つ橋をお土産にします。f:id:jotoyumekoi:20200909002231j:plain

 こちらでは、今回もお茶とお菓子の接待をして頂きましたが、1月のブログで生八つ橋の事を書きましたので、八橋検校のお話をして見たいと思います。

 八橋検校は「検校」と言う位で盲目の音楽家、江戸時代初期の「筑紫流箏曲」の名手で名を城秀と云い、この箏曲を基に現在の日本の箏の基礎を作り上げ、独奏楽器としての箏や奏法の改良、段物などの楽式の定型化など、箏曲の発展に努めた方です。

 出身には諸説あるが、陸奥国磐城(明治期の磐城国、現・福島県いわき市)が定説とされ、他に摂津国(現・大阪府北中部、ほか)とする説もある様です。

 ではなぜこの方が、京銘菓「八ツ橋」と関係が有るかと云うと、八橋検校の死後、その業績を偲んで、箏の形を模した堅焼き煎餅が配られたといわれ、これが京銘菓「八ツ橋」の始まりと伝えられています。

壁の表彰状は革新知事で有名な京都府知事「蜷川虎三」さん名です。f:id:jotoyumekoi:20200909002241j:plain

本家八ツ橋「西尾」の斜め向かい聖護院八ッ橋総本店京都本店f:id:jotoyumekoi:20200909002253j:plain

柳山・泉徳寺。真宗大谷派の寺院です。f:id:jotoyumekoi:20200909002306j:plain

「ふらんきょうと」
京友禅を彩る金彩の技法により描かれた紙 「京の金唐紙」のアートギャラリーです。f:id:jotoyumekoi:20200909002318j:plain