同志社今出川キャンパスから京都御苑を抜けたまちづくり団体主催「冬の京都まち歩き会~同志社大学キャンパスツアーと新島襄旧邸見学~」、本日ツアーのメインテーマとも言える「新島襄旧邸見学」です。
同志社英学校(同志社大学)の創立者「新島襄」が妻「八重」ともに住まいした「新島襄旧邸見学」、北米コロニアル様式の外観を取り入れた純和風建築で、京都市により1990年から2年間かけて解体保存修理が施され一般公開されてます。
1876年に結婚、1890年42歳の若さで早逝した新島襄が妻・八重と一緒に何年此処で暮らしたかは良く存じませんが、旅先の群馬県・前橋で倒れ大磯の旅館で静養中に亡くなった新島襄最期の言葉は「狼狽するなかれ、グッドバイ、また会わん」だったそうです。
一般公開されています。
前庭に設置されている、説明版。
二棟の建物の様で、手前の建物は純和風の様です。
縁側の奥の展示物。
「新島八重」さんのご紹介。
同志社の創始者「新島襄」の婦人、「新島八重」さんと云いますと、戊辰戦役・会津若松城籠城戦時、7連発のスペンサー銃片手の勇戦などで、男勝りの女傑として有名ですが、日清戦争、日露戦争時の篤志看護婦としての面もあり、「綾瀬はるか」主演、2013年NHK大河ドラマ「八重の桜」の「新島八重」さんはどの様に描かれるのでしょうか。
奥の方の洋館造りの建物。
この部屋が同志社大学の前身「同志社英学校」の始まりだそうです。
天井の照明ランプ。
一階のベランダで、学芸員さんのお話をお聴きします。
基本的には古い建物で、2013年NHK大河ドラマ 「八重の桜」放映開始で見学者殺到と成りますと、見学制限か場合によっては一般公開その物の中止も有り得ますので、今のうちの見学すると良いカモ!
新島襄の書斎。
書斎には、これ以外にも沢山の本棚に書籍が並んでいますが、現在では写真をハメ込んで有り、蔵書は大学図書館で保管されていますがますが、1890年に新島襄が亡くなった後も、八重が亡くなるまでの42年間、そのままの状態に置かれていたそうです。
裏庭から隣の新島会館。 何気ない風景ですが「絵」に成ります。
お風呂。
木造の洋式トイレです。
台所の木造流し台。
二階に上がります。
セントラルヒーティングの吹き出し口。
二階のベランダ。
ベランダから裏庭のモミジ。 見事なコラージュです。
見学終了。
隣の同志社校友会・新島会館から新島襄旧邸。 全体がコロニアルスタイルの外観。
同志社校友会・新島会館。
奥のロビーで、小休止後解散。
新島会館ロビーから新島襄旧邸。
ロビーの写真展示。
これで見学会は解散に成りますが、希望者は二手に分かれて京都国立近代美術館の「竹久夢二」展に向かう組と 「祇園・花見小路のまちづくり再開発」の見学に分かれますが、私は「花見小路」見学の組に参加します。
その模様は「寺町通り・花見小路」編でアップする事にします。
主催者ご挨拶の後解散。