地元でのフラワーロード調査会ミーティングを抜け出し、淀川区西三国での「渡邊邸を知ろう」です。
「大阪市淀川区西三国にある渡辺邸は、渡辺綱の子孫と伝える渡辺久良左衛門源忠綱(天正十年、1582年没)が構えた屋敷跡と伝えられ、もしそうなら大阪落城より以前からあった大阪市中最古の民家の一つとなります。
綱はいうまでもなく、その祖は嵯峨天皇、その皇子である源融は、紫式部作の「源氏物語」の光源氏のモデルともいわれ人物の流れを組み、渡辺党の祖でもあります。
綱は、大江山の鬼や羅生門の鬼を退治した、源頼光の四天王のひとりとして勇名をはせた人物でもあります。渡辺綱(万寿2年、1025年2月15日没)。
そこから約1千年、渡辺の発祥の地でもある大阪市中最古の民家とも呼ばれる貴重な歴史的財産でもある渡辺邸を保存する為に、保存会を立ち上げました。
と保存会の趣旨書に有り、現在、淀川区三国地区は大阪市の区画整理事業での再開発中で、その一環として渡邉邸の大阪市による保存と歴史公園化整備を求めるとの事です。
しかし、もうすでに再開発業者との売買契約成立後の事で、解体まで残す時間が1カ月半との事でした。
地元のフラワーロード調査会ミーティングを抜け出し、地下鉄御堂筋線・東三国駅に到着。
新御堂筋から少し西に、国道134号線。この後左に曲がり目的地に向かいます。
道に迷いそうなので早めに来ましたが、案の定炎天下迷いに迷いようやく到着、目的地手前のお地蔵さん。
「渡邊邸を知ろう」会場の「自敬寺」。
受付を済ませ、本堂に展示してある「渡邊邸」の写真を拝見します。
屋内の様子。
お庭です。
こちらは建物外観。
何分、邸内には立ち入る事が出来ませんので、以前に撮影された僅かな写真で往時の姿を想像します。
自敬寺ご住職が、淀川区三国地域の歴史的背景と渡邉家、渡邉邸に付いてお話をされています。
神崎川と三国地域の「考古絵地図」。
渡邉邸保存会を立ち上げられた山本さんが、渡邉邸(中央5角形の塀に囲まれた部分)の概要について説明されます。
渡邉家の縁続きに成られるそうです。
前吹田市長・阪口さん。
吹田市に有ります「重要文化財・吉村家」の保存活動に付いてお話をされました。
発起人の一人、分田さん。
ご自身が係っておられる「精華小校舎愛好会」の活動に絡め、保存活動の難しさなど具体例を挙げてのお話です。
「渡邉邸保存会」発起人の方々。
この後、旧蒲田街道と渡邉邸周辺のフィールドワークに移ります。
渡邉邸前。
主催者の予想が30名程度だったそうですが、100名以上の参加者で、地元の方が返られたとは云えかなりの人数です。
正面左、蔵の屋根。
空気抜きに渡邉紋の切り抜きが施してあります。
正門横の覗き格子から、輿入れに使われた籠が見えます。
以前は2基吊るされていたそうですが、地元の方が朽ちて落ちたのではないかと言われていました。
門柱に「見学撮影等一切厳禁」と有ります。
これが所有権者の意思とも云えます。
正門左の蔵。
渡邉家の墓地。奥の宝篋印塔以外の墓石は砂岩の様です。
裏門が壊れ、板張りのため低く、庭が少し垣間見えます。
庭の楠木。
板塀が続きます。
母屋の茅葺屋根が少し伺えました。
約800坪の敷地だそうで、板塀が続きます。
蔵の鬼瓦は「大黒さん」の様に見えました。
左に曲がると正門です。
一回り正門に戻ってきました。
自敬寺に戻り、しばし休息を摂ります。
帰り道、自敬寺裏手のお屋敷。
同じく回り込んだところ。
前のお屋敷の角を右に曲がった別のお屋敷。
こちらも長屋門のようです。