相国寺からの続きで、烏丸通から室町キャンパス・寒梅館、今出川キャンパス、冷泉家邸宅を巡りますが、足が上がらなく成って来ました。
越中国射水郡小杉宿(現・富山県射水市)の人で名を「藤井直明」、江戸へ出て「右門」と名乗り、維新の先駆けとも言える江戸時代中期の尊王論者の一人。
明和事件に連座し捕えられ1767年幕府により打ち首獄門と成ったそうです。
屋敷は、烏丸通の拡幅で1922年取り壊されたと京都市設置の駒札には有りますが、山科毘沙門堂裏の春秋山荘に移築されたとする資料も有ります。
石碑右の民家は、右門宅が取り壊された裏の建物で関係がなさそうです。