天王寺七坂ツアー企画下見で和宗総本山「四天王寺」。
和宗総本山「荒陵山・四天王寺」は、推古天皇元年593年建立の聖徳太子建立七大寺の内の一寺、本尊は救世観音。
「日本書紀」の伝えるところでは、物部守屋と蘇我馬子の合戦の折り、崇仏派の蘇我氏についた聖徳太子が形勢の不利を打開するために、自ら四天王像を彫りもし、この戦いに勝利したら、四天王を安置する寺院を建立しこの世の全ての人々を救済する」と誓願され、勝利の後その誓いを果すために、建立されました(以上・四天王寺HP)。
一時期天台宗に属した時期も有ったそうですが、日本仏法発祥の地として「八宗兼学」の寺院とし和宗を称し総本山として独立しています。
四天王寺・石鳥居。
扁額の文字は「釈迦来 転法輪処 当極楽土 東門中心」と在ります。
印導石。
大鳥居を入った所、引導石の裏側、聖徳太子影向引導の鐘と黄金色の聖徳太子像。
西大門。
境内は節分の縁日で賑っていました。
源義経・よろい掛け松。
頼朝に追われ西国に逃げようとし船が難破、和泉国に漂着後、四天王寺に身を隠した時に、この松へ鎧を掛けたと伝えられる。
萬燈院(紙衣堂)。
病に苦しみながら紙の衣を着て修行したといわれる羅漢さん(紙衣仏)が祀られていて、毎年10月10日「衣替え法要」が行われ、病気平癒の仏様です。
南鐘堂。正式名称は鯨鐘楼。
鐘楼から撞き送る響きは、はるか極楽浄土に通じると言われます。
太子井戸屋形。
番匠堂。
亀井不動尊と亀井堂。
亀井堂内には井戸が有り、供養を済ませた経木を流せば、極楽往生が叶うと言われています。
四天王寺の亀の池。 中の亀はほとんどがミシシッピーアカミミ亀です。
昼夜6回にわたって諸礼讃をするところから六時礼讃堂の名があります。 前に重要文化財・石舞台。四天王寺雅楽の舞台です。
六時礼讃堂。
英霊堂。
元は、大釣鐘堂と呼ばれ、鐘は第二次大戦で供出され、その縁により戦歿英霊を奉祀しています。 扁額の上に櫻井義国師作?の水呑み龍が有り、夜な夜な水を飲みに逃げ出さない様、金網が張られています。