住吉区でのとある説明会の帰り、天王寺区玉造本町の「三光神社」に立ち寄ります。
三光神社と云えば「真田の抜け穴」、1ヵ月前には桜花に彩られ艶やかな姿を見せていました真田山も若葉の季節と成り、爽やかな初夏の風を頬に感じます。
三光神社創建は、反正天皇の時代(5世紀前半)と伝えられ、ご祭神は「天照大神」「月読尊」「素戔鳴尊」の三神、元は姫山神社(大昔の姫の松原の遺称)と称し摂津名所図会にも姫山神社との記載が有りますが、1908年境内社として分霊が勧請されていた中風除けの神として広く知られた「三光宮」を合祀して以降「三光神社」と呼ばれ神社名とも成ってます。
三光神社が全国に知られる様に成った謂れは、大坂冬の陣の折ほぼ現在地辺りに真田幸村(正確には長宗我部守親との共守)が守る難攻不落の出城・真田丸が築かれ、今に伝わる「真田の抜け穴」が存在する神社としてですが、現存する抜け穴に関しては大坂冬の陣の戦形態が主に銃撃戦だったので、攻城方の前田利常軍が掘った塹壕跡の可能性が高いとの説が有力に成ってます。
JR環状線・玉造駅の南、玉造筋を西に入った辺りに鎮座しています。
真田山、登ります。
この先にも石段。
桜の若葉の向こう何か見えます。
成瀬國晴画伯デザインの真田幸村公。
その台座は、信州上田の真田家の菩提寺である長谷寺より取り出した石、名付けて真田石。
真田幸村公の陣中指揮姿。
真田幸村がこの地に設けた偃月城(真田丸)。
その抜け穴と云われています。
真田幸村公にご挨拶の後、拝殿に登ります。
三光神社拝殿。
拝殿横、寿老人像。
大阪七福神の御一神です。
来年は1月1日 七福神巡り、行きます!
三光神社由緒。
御祭神。
末社への鳥居。
「主守稲荷社」「武内宿禰社」「野見宿禰社」の三社が祀られています。
正面鳥居に向かいます。
1ヵ月前ですと桜道でした。
お庭の向こうに拝殿。
灯籠に水谷八重子の名が有りますが・・・。
片柱の鳥居。
一之鳥居左柱前、太平洋戦争の戦禍で破壊された鳥居の片柱が保存さrています。
こちらが正面の鳥居です。