産経新聞社主催「KANSAIウオーク2013・大阪市内エリア」で「玉造稲荷神社」。
社伝による創祀は紀元前12世紀とされ、当時は比売社と称していたと伝わり、丁未の乱(蘇我・物部の戦い)の折、廐戸皇子(聖徳太子)がこの地「玉作岡」に布陣し戦勝後「観音堂」を建てたという伝承があるそうです。
その後天正時代の戦乱で消失した後、豊臣大坂城三の丸に位置し鎮守社として豊臣氏の厚い庇護を受けていましたが大坂夏の陣で再び消失、大坂の陣戦後の徳川大坂城時代も大坂城の鎮守社として大坂城代・内藤信正や氏子などの寄進で再建され、江戸時代には大坂からのお伊勢参りの起点とされたお社です。
主神は宇迦之御魂大神、相殿は下照姫命 稚日女命 月読命 軻遇突智命の四柱。
玉造稲荷神社。
伊勢迄歩講起点碑が有り、お伊勢参りの起点とされる。
拝殿。
難波・玉造資料館。
「玉造」は、古代、勾玉などを作っていた玉造部の居住地であったという伝承がある。
豊臣秀頼公奉納鳥居。
埋まったではなく阪神淡路大震災により基礎に損傷を受け、上部・脚部に分け境内に現存する。
秀頼公と母・淀殿を結ぶ胞衣を祀る胞衣塚大明神。
千利休居士顕彰碑。
小野小町歌碑。