産経新聞社主催「KANSAIウオーク2013・大阪市内エリア」で「越中井」。
関ヶ原の戦いの折り、細川忠興の正室であった明智光秀の三女「ガラシャ(玉子)」はこの地に幽閉されており人質にされようとした折り近習を逃した後キリシタンのため自害が許されず家老・小笠原秀清が介錯、爆薬を仕掛けた屋敷に火を放ち遺骸を残さなかったと言われます。
この付近は細川越中守忠興の邸跡で、越中井はその邸内に有った物と言われていて大阪市が道路拡幅の折付近に移転しようとした処、地域住民との話し合いで現状のままとされた逸話が有ります。
玉造稲荷から森之宮「越中井」。