天王寺区下寺町の松屋町筋沿い慶立山「萬福寺」、1594年 前田利家の弟、前田利信が開創した西山浄土宗光明寺派の寺院、幕末に新選組の大坂屯所が4年間置かれた寺院でも有ります。
新選組を配下に収める京都守護職は京都だけでなく大坂の治安維持の任も負っていて、大阪での新選組と云うと
1. 内山彦五郎暗殺。
2. ぜんざい屋襲撃。
3. 藤井藍田捕縛惨殺。
以上の3件が良く知られていて、屯所が置かれたのは相撲部屋との乱闘事件以後の様でその吟味を行った大坂西町奉行所与力・内山彦五郎暗殺からぜんざい屋襲撃、藤井藍田捕縛惨殺と続き、鳥羽伏見の戦い以後新選組が解散状態となり以降は大坂屯所を預かっていた谷万太郎は土方たち本体とは別行動を執り明治まで大坂で剣術道場などを開き存命だったそうです。
京都の新選組と違い屯所の人数も20人位と少なく余り目立ちませんが、大坂の豪商相手に資金調達の窓口や西国の情報収集など後方支援もしていた様で、結構重要な役割だったと思いますが、司馬遼太郎さん他の小説ではこの地に在った谷三兄弟の評判が悪くて余計に目立ち難く成ってるんですかね。
観光寺院では無いので山門入り口は柵で塞がれてます。
「新選組 大坂屯所跡」とはせず「新選組 大坂旅宿跡」と有ります。
新選組が屯所に選んだだけ有って広い境内。
収まらない時には、背中合わせの「大寶寺」に宿泊したそうです。
本堂。
当寺に伝わる新選組にまつわる唯一の品と伝えられてる薙刀だそうで、お寺としては新選組との関係を論じるのは代々タブーなんだそうです。
鞘も揃ってます。
新選組以外にも見どころの多いお寺で、よく引き合いも有るそうですが、住職は観光化を頑固に拒まれていて、今回は区役所主催のツアーなので特別に拝観出来てますが拝観は不可です。
しかしもったいない。
裏山(上町台地)からの伽藍。
境内の芭蕉句碑。
「尊かるなみだや染てちる紅葉」と刻まれています。
巨大な灯篭。