新町橋親柱

 大阪市阪神高速高架下沿いには、結構色んな物が邪魔にならない様に押し込められていますが、たまに記念碑なんかも置かれていてこれもその一つ、西区新町1丁目「新町橋碑」。

 船場と呼ばれていた区域の西辺、旧西横堀川に架かっていた唯一の橋が新町橋

 新町橋を西に渡ると「新町」、1630年(寛永7年)に開かれた大坂で唯一公許の花街(遊郭)だった所で、現在の地図で見ると、東は阪神高速環状線、西は木津川、北は南久宝寺通り、南は長堀通り に囲まれた地域です。

 現在の阪神高速1号環状線は、その西横堀川を埋め立てた旧川筋に建設された高架道で、新町橋碑の少し北、旧遊郭の中心地「瓢箪町筋」と云われた道路沿いビルの北東に少し小さな記念碑が建てられていて、本来の新町橋はその場所に存在した様です。

 記念碑にも使われている親柱は、1927年6月に架け替えられた鉄筋コンクリート製アーチ橋の物ですが、当時の写真を見ると3mを超える様な巨大な親柱で、記念碑の物は下部を切り詰め上部の烏帽子状の部分を残した物の様です。

 残り2本の親柱が気に成る所ですが、西成区岸里1丁目「信濃屋そば製粉株式会社」と云う会社の門柱に使われ、此方も長さを少し切り詰め2m位に成っていて、国道26号線沿いの特徴的で良く目立つ構の会社なのですぐに気が付きます。

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