梅旧禅院の後は、お向かいの「壬生勝鬘山 浄春寺」。
此方にも松尾芭蕉の供養碑と芭蕉反故塚が門前に存在しますが、目的は麻田剛立のお墓。 麻田剛立とは、1734年豊後国杵築藩に儒者 綾部絅斎の4番目の子として生まれ本名は綾部妥彰、幼い頃から天体に興味を抱き、医学を学ぶ傍ら、天文学、暦学を独学、脱藩して大阪に移った後は麻田剛立と名乗って、医者をしながらひたすら天文の研究を続け、天体現象を観測しその結果を検証するという近代的な天文学を日本で初めて行なった天文学者です。
ケプラーの第3法則を独力で解明していたり、午線儀、象限儀、垂揺球儀など多くの観測機器を考案・改良、オランダから輸入した高倍率グレゴリー式反射望遠鏡を使い日本最古の月面観測図を完成。
月のクレーターの一つ「アサダ」は、麻田剛立の名に由来します。 麻田剛立の伝記は、鹿毛敏夫著「月のえくぼ(クレーター)を見た男」に詳しいですが、その業績は世界的に見ても一流で、もっと顕彰されても良い方です。
壬生勝鬘山 浄春寺。
平安時代の公卿で歌人であった藤原家隆の菩提所として開かれたと伝えられます。
松尾芭蕉の供養碑と芭蕉反故塚。
反故塚とは、芭蕉直筆の下書きを収めた塚だそうです。
麻田剛立のお墓。
この墓は懐徳堂で有名な中井家、中井蕉園が撰文し、谷川祐の書になる顕彰文で4面ともびっしりと埋められています。
墓石自体は1967年に再建された墓石だそうです。
右端のお墓は剛立の養子の立達の墓、立達も優秀な天文学者だったと伝えられています。