明治新政府は、大阪に本格的な医学専門教育学校と病院建設を計画し学校に付いては舎密局が置かれましたが、病院の方は中々進捗せず大阪に行幸された明治天皇の御下賜金も有り1868年緒方惟準を院長に、主席教授をオランダ人ボードウィンで、ここ天王寺区上本町の大福寺境内に浪華仮病院を開設。
しかし半年後には法円坂の国立病院機構大阪医療センター辺りに移転、その後大阪大学医学部の前身と成り現在に至りますが、この地の浪華仮病院が医療施設として機能したのは3か月程度だったそうです。
左にA・F・ボードウィン、右に緒方惟準のレリーフを嵌めこんだ記念碑。
貯徳山「大福寺」、この辺りに多い浄土宗の寺院です。