「重要文化財 吉村家住宅」見学の帰り、近くの「雄略天皇 丹比高鷲原陵」を見に行きます。
この古墳は宮内庁によって雄略天皇陵に治定されていますが、他の天皇陵に習い単に地名を取って「島泉丸山古墳」とか「高鷲丸山古墳」とも呼ばれる様に成ってます。
他に雄略陵として、宮内庁では「河内大塚山古墳」を「大塚陵墓参考地」として陵墓参考地に治定されてたりして、最近では「岡ミサンザイ古墳」を堆略陵と考える説が有力になってきてます。
雄略陵として宮内庁によって治定された「島泉丸山古墳・高鷲丸山古墳」については、幕末に雄略陵の補修が地元庄屋を中心に行われた時、応神・仁徳陵の巨大な前方後円墳にくらべ、雄略陵が円墳であまりにも小さいので、東南東にあった方墳の平塚古墳と一体にして陵墓のように土を突いて積み上げたと言われてたりしてかなり曖昧なんですが、この辺りは宮内庁からの発掘許可が下りないので何とも言えないようです。
拝所の反対側、北から環濠越し
アオサギ。
時期的に、環濠にはたくさんの冬ガモが越冬に来てます。マガモの雄。
マガモの雌。