大阪城公園『城中焼亡埋骨墳』

 大阪城公園のサクラも満開、今週末は大変な人出に成りそうですがそんな大阪城公園の南、中央大通りを挟んだ日生球場跡に工事中の森ノ宮キューズモールの真向い、通路から少し離れた木立の中にひっそりと佇む慰霊碑。

 慶応4年(=明治元年、1868)1月、明治維新によって旧幕府が本拠としていた大坂城が新政府軍に引き渡されるに際し、これをいさぎよしとしない幕臣たちが、城内に火を放ち自害したという。新政府軍の主力だった薩摩・長州両藩の有志たちは、彼らの遺骨を埋葬し、武士の鑑とたたえて、同年7月にこの石碑を建立した。のちにこの碑は「残念塚」「残念さん」とよばれ、どんな願いもかなえてくれる神様として人々の信仰を集めた。

 以上のように銘板に記載され、慶応4年1月3日に始まった鳥羽・伏見の戦いの後、敗れた旧幕府軍は続々と大坂城へ退却、6日夜の徳川慶喜の江戸脱出によって大混乱に、9日には薩長軍が大坂城に達し、幕府目付・妻木頼矩と長州藩・佐々木四郎二郎とが城の引渡し交渉をはじめたところ、その最中に本丸台所から出火、10日には焔硝蔵にも引火し大爆発を起こしたという。

 この時の出火が幕兵による放火で、焼け跡には焼死体と共に夥しい数の城を枕に自害したと思われる幕兵の焼死体が残され、それを憐れんだ薩長によって葬られ、碑が建てられた7月には江戸が東京に改称されています。

 昨年からの大坂城400年で騒がしい大阪城周辺ですが、日本の歴史の分岐点とも成った大坂城2度の落城、2度目幕末の物語を忍んで手を合わせに来てください。キット!願いがかないます。

 

メイン通路から少し東に離れてるので、気が付かず通り過ぎてしまうので注意。f:id:jotoyumekoi:20200801210952j:plain

願いがかなう心霊スポットでも有るんですね。f:id:jotoyumekoi:20200801211004j:plain

「城中焼亡埋骨墳」と在りますから、この下にはお骨が埋まってるんですね。f:id:jotoyumekoi:20200801211018j:plain

「慶応4年7月薩州長州建立」と在り、薩州長州の有志で建立された様です。f:id:jotoyumekoi:20200801210937j:plain