南御堂に来たついでに御堂会館ギャラリーで4月12日(日)まで開催中の「戦争展」を見学。
昭和13年5月 日中戦争で戦死された故陸軍輜重兵・西尾武雄さんの遺品などが展示されています。
本願寺といえば戦国時代の大坂本願寺城合戦以降も毛利家との結びつきが強く、西と東に分かれて以降は西は朝廷や毛利家、東は徳川幕府と親密で明治維新以降は元々朝廷や長州を通じて明治新政府と結びつきが強い西はともかく、東は教団の存亡をかけて国家神道翼賛に大きく傾いて行く事に成り、日本が対外膨張政策を取り外地に進出していく過程で、両本願寺の布教僧などが情報提供など諜報活動に功績が有ったなどと伝えられています。
処が大戦後、西はともかく東の方は大戦中の戦争協力に対して大いに反省、贖罪の意味もあってか反戦や反権力的主張、福島の事故以降もいち早く反原発を教団として掲げられるなど、時として「左本願寺」などと揶揄されるなど、政治的な活動に積極的な僧職も多くおられる教団です。
コナン映画試写会のパネル。
4月1日は沖縄戦の始まった日です。
動員された女学生たち。
沖縄戦の記録。
南御堂近く、中央区南本町での戦時不発弾撤去の模様。
展示品。
展示品。
戦時国債(左)と配給切符(衣類)。
南満州鉄道の株券。
額面が金2500円と在って相当高額な株券です。
戦時中の東本願寺の広報物。
同じく東本願寺の布教用印刷物。
右の同朋箴規などは戦争協力目的に都合よく書き換えられてます。
真宗教団戦争協力の証です。
戦時供出された釣鐘と金属を使わず代用品で代用した仏具。
鉄帽と灯火管制用に墨が入れられた電球。
鉄帽は陸軍の90式鉄帽では無く、警防団用の物のようです。
右に爆弾と在りますが、15㎝榴弾砲の砲弾です。
手前は飛行帽と防毒面。
衣類は軍服では無く僧侶用の軍事教衣だそうです。
西尾武雄さんの遺品。
昭和12年8月に出征、翌年の昭和13年5月に戦死されています。
左下は陣中日記。
戦史公報と従軍記章。
階級が2階級戦死特進で上等兵に、金350円が下賜されています。
従軍記章は昭和14年に廃止されたんだそうで、昭和15年に召集された私の親父が残念がっていたのを覚えています。
戦死通知。
西尾さんの出征を祝う日の丸。