「史跡通法寺跡・源氏三代の墓」から「壺井八幡宮」へ。
壺井八幡宮は、前九年の役の際、源 頼義・義家父子が石清水八幡宮の神霊を奉じて奥羽に出陣し鎮定後凱旋、本拠地壺井に戻った1064年に石清水八幡宮の神を勧請、私邸の東側に祀ったのが始まり、八幡宮と並んで建つ壺井権現社は1109年源義家の五男義時が源氏の始祖として源 頼信、頼義、義家の三代を祀るため創建したと伝わり、二社を総じて壺井八幡宮と云うようです。
自分たちの祖である壺井権現社を主祭神にせず、石清水八幡宮の神霊とする壺井八幡宮を前に出す処に武人の矜恃を感じます。
壺井の香炉峰と云われた町並み。
往時には河内源氏一族郎党の邸が立ち並んでいたんでしょうね。
先の角を曲がった所。
「壺井八幡宮」参道です。
「壺井」この地の由来の井戸。
源 頼義が、東国より清水を壺に入れて持ち帰ったのを埋めた井戸とされますが、200年以上遡る837年の文書に既
急勾配の石段を登ります。
ガイドさんから解説。
樹齢千年ともいわれる大楠、まさに河内源氏の盛衰を見つめて来たご神木。
壺井八幡宮。奥の赤い社が本殿。
徳川家 葵の家紋。
四代将軍・徳川綱吉が柳沢吉保に命じて再興された事に依ります。
源 義家公歌碑。
「吹く風を 勿来の関と思へども 道も狭に散る 山桜かな」
前九年の役で手柄を立て勿来の関を通りかかった時風に散
壺井権現社。
壺井権現社。何と無くお寺の本堂風の建物です。
手水社から壺井権現社、後方に坪井八幡宮。
右の石碑には「下乗」と刻まれ、何人も駕篭など乗物から降りなくてはいけません。
西に成るのか裏の鳥居だと思います。