今出川通から室町通を南に武者小路通の手前、幟旗が立って無いと気が付かず通り過ぎてしまいそうな小さなお社「福長神社」、延喜式に記載のある式内社。
もとは平安京大内裏の神祇官西院に祀られた「座摩巫祭神五座」のうち福井神・綱長井神の2座を継承する神社で宮中の井戸を守護する神、「座摩巫祭神五座」を祀る大阪の摂津国一宮「坐摩神社」との関連性も有るようです。
豊臣秀吉が聚楽第築城の折か廃城の折現在地に移されたと社伝には有るようですが、1574年に織田信長が上杉謙信に贈ったとされる「上杉本洛中洛外図屏風」には現在地で福長神社が確認されていて、聚楽第は1586年に造営が始まったので社伝の記述では少し矛盾が有るようです。
その後も福長大明神と称され水神として崇敬を集めていましたが、1788年「天明の大火」により社殿が焼失、社殿は暫時縮小され当地の様な小ぶりな境内に収まった様です。
現在では他の京都市内三社との三社巡りで縁切りのお社としても知られ、お社の組み合わせを変えて縁結び三社巡りの一社としても知られているそうです。
境内の井戸と手水。
拝殿、奥に小さな本殿が覗いてます。
セルフ式の朱印が置かれています。