大阪に住んでいながら上下とも京都の御霊神社には結構行ってますが、大阪の御霊神社にはめったに来ることは無くて10年位前に大阪あそ歩のガイド研修の折立ち寄った覚えが有ります。
日本国内に御霊を名乗る神社は多数存在し同じ神様をお祀りする神社かと思ってしまいますが、「御霊」の解釈が様々で五柱の神様を祀る御霊や単に御霊(みたま)を意味する物、中には怨霊を封じる目的の神社まで存在します。
ではなぜ大阪の御霊神社が御霊を名乗るように成ったその謂れは、もともと御霊神社は靭公園の辺り現在の楠永神社の置かれている辺りに鎮座した津村村周辺の産土神・圓神社または津村神社が起こりで、靭から現在地に遷座、圓江神社と称し後に鎌倉権五郎景政公をお祀りしたことから五郎ノ宮、そして圓御霊と成り元禄期に「御霊神社」と改称したと神社の由緒書に記載が有ります。
処で、御霊神社の前身、靭の圓神祠に最初から祀られてたのは現在の御霊神社にも祀られてる産土神の「津布良彦神」と「津布良媛神」の男女神だと思いますが、何となく海神を思わせますが如何でしょうか。
日が暮れかけて鳥居の色が上手く出ません。
拝殿。
東宮。
松之木神社。
「御霊文楽座」の記念碑。
大阪三十三カ所観音巡りの第三十三番札所 御霊神社碑。
正面に、西国三十三カ所巡り第三十三番「華厳寺」を現す西国三十三寺御詠歌の三十三番目「世を照らす 仏のしるし ありければ まだともしびも 消えぬなりけり」と彫られてます。