「天神祭宵宮ご一緒に!」の続き天満宮境内宮入突入後、講社巡りを行い「24日拝殿裏にお出で、一杯飲ましたげる」と何時も関係者からご招待を戴く「御鳳輦講」にご挨拶に伺います。
これまで天満宮近くに数十年住まいして居りますが、この時期は避けて通る地域で、初めて天神祭りに参詣し、帰る頃には次回もまた来て見たく成ってました。
日が暮れ、境内は凄い人出に成ってます。
天満天神御伽塾。
大阪天満宮文化研究所主催の講座を受講した御伽衆が、ボランティアガイドをされてます。
藤制。
かつては天満市場の人たちが、シジミの貝殻でこしらえたフジ棚の「造り物」を大阪天満宮境内に再現し、お祭りに彩りを添てます。
お迎え人形。
かっては、船上に設けられた舞台に人形をセットし、船渡御の一行を御旅所まで導く役割を担っていました。
お迎え人形「関羽」。
シジミ貝の藤棚。
「御鳳輦講」にご挨拶。
「御鳳輦講」は、菅原町、樋上町などの氏子有志の講。
天神祭りの祝い牛。
「天神講獅子講」。
400名を超える踊子によって、獅子舞・傘踊・四つ竹・梵天などの踊りをくりひろげ、祭の雰囲気を盛りあげる大集団。
「御羽車講」。
昭和24年、天神橋筋2〜6丁目商店街と振興町会が、滋賀県坂本の日吉神社から「御羽車」を譲り受け、大阪天満宮への奉納したのが始まりで、6ブロックで形成・運営されてます。
「御神酒講」。
文字通り酒造食品メーカーや卸売業者、酒販店などによって講が維持されています。
奥に講のシンボル「猩々」。
「北信友の講」。
大阪北信用組合の組合員の親睦を目的とする講です。
「西天満連合神鉾講」。
西天満地域の旧15ヵ町で組織された講。
一時途絶えていた「鉾流し神事」。
「鳳講」。
鳳神輿は天神西町と天神橋一丁目と菅原町の3つの町でご奉仕されています。
明治9年に御鳳輦が造られるまでは、鳳神輿が御神霊の乗り物で、陸・船渡御の中心だったそうです。
「地車講」。
天満卸売市場商業協同組合が母体となり、理事全員が地車講役員として、商人、市場関係者、地域住民が奉仕。
正面では「天神祭囃子」で龍踊り。
さすがに日本三大祭りの一つ。
外人の姿も目立ちます。
「太鼓中」。
こちらは「講」では無く「中」を名乗ります。
総勢600名が25日陸渡御の先陣を切ります。
裏に回ると「舁き方」、「采頭」と「采方」が支えています。
大鳥居の横でお巡りさん。
帰りに天神橋商店街。
ここも人で一杯。
手打ちうどん屋の二階、知り合いが運営されてる二日間限定の居酒屋。
この後二件回って解散です。