奈良
昨年の平城宮跡歴史公園での「ツバメの塒入り」観察の折、目印のみずほ銀行西大寺支店が移転していて気が付かず見落としていた「西隆寺・塔跡」の見学。 大和西大寺駅から矢田奈良線を少し東に行った所、三井住友信託銀行手前隣の移転した旧みずほ銀行横の通…
平城宮跡歴史公園での「ツバメの塒入り」観察に来たので少し遠回りして2010年に「大極殿」が復原され現在「南門」が整備中の「第一次大極殿院」を散策しながら「ツバメの塒入り」観察地点の復原事業情報館に向かいます。 第一次大極殿院は、2010年に復原され…
近鉄・大和西大寺駅を東に二条辻地蔵尊を過ぎた辺りに古い石碑「超昇寺札所石碑」が建ってます。 「超昇寺」は平安時代初頭に高丘親王が創建した寺院で、往時は壮大な伽藍を誇ったと思われますがその後荒廃、周辺の地名として残っていましたが「生類憐みの令…
近鉄・大和西大寺駅から府道谷田矢田線を東に平城京大極殿との中間点辺り、府道奈良精華線との交差点に地蔵堂が2つ存在します。 地蔵堂のお地蔵さんは、花崗岩から掘り出し高さ190cmの舟形光背を背負って蓮華座上に立つ像高140cmの地蔵菩薩立像は鎌倉時代後…
平城宮跡歴史公園での「ツバメの塒入り」観察に向かう途中、大渕池を源流に奈良県北部を流れる大和川中流部・佐保川の支流「秋篠川」。 「秋篠川」は平城京造営に合わせて直線的に付け替えられ、平城京への物資の輸送路として「西の堀河」とも呼ばれていまし…
平城宮跡歴史公園での「ツバメの塒入り」観察では近鉄奈良線・大和西大寺駅を下車、そのまま東に平城京跡に向かいますが、向かう途中に駅前開発で発掘され和同開珎出土でも良く知られた「西隆寺遺跡」が保存されています。 「西隆寺」は、現存する僧院の「真…
つくばね発電所見学会の最後に水神総社「丹生川上神社 (中社)」参拝。 ご祭神は「罔象女神(みづはのめのかみ)」水一切を司る水利の神で、同じ水神でも貴船神社の「高龗(たかおかみのかみ)」は龍神を現し治水を司る治水神で、「罔象」は水の恵みも併せ持…
つくばね発電所の建てられてる日裏川に架けられた白髭橋を渡った所に「白髭神社」が祀られています。 滋賀県高島の湖上の厳島と云われる白髭神社の分霊社だと思いますが、参道にも成るのか手前の橋が白髭橋と有る事から元々白髭神社の有った所が整地されつく…
史遊会・古代史教室見学会も最後のスポット巡り、馬見丘陵南の古墳群を一回りして公園館前に戻り、水の抜かれた菖蒲園から乙女山古墳に立ち寄った後花の道に、馬見丘陵公園を出て緑道を抜けて池部駅から帰路に就きます。 今回も軽く1万歩越え、10㎞位の行程で…
ナガレ古墳を東に降りた処に「史跡 ナガレ山古墳 地形模型」。 側面にはめ込まれた銘板に、 史跡等活用特別事業(ふるさと歴史の広場整備事業) 平成9年3月 河合町・河合町教育委員会 と有り、他の古墳群でもデザインは違っても同じような地形模型を見ますが…
竹取公園で昼食後後半の古墳巡りに向かい最初の古墳は「ナガレ山古墳」。 今回の古墳巡りでは時間が無くて余り下調べをしてこなかったんですが、この「ナガレ山古墳」は1975年から始まった土砂採取で一部が破壊された処で県の調査が入り1976年国指定史跡に指…
古代史教室見学会「大輪のダリアの花と、古墳の集積地、馬見丘陵めぐり」の昼食は奈良県営馬見丘陵公園に隣接する広陵町竹取公園。 公園事務所前にあるに有る大きなトイレは「かぐや姫の誕生シーン」のモニュメントトイレ、車いす対応のかぐや姫トイレです。…
倉塚古墳から巣山古墳に向かう途中、北今市古墳1号墳出土の石棺が移築展示されています。 北今市古墳群とは馬見丘陵古墳群の西、香芝市北今市の5基の古墳群で4基が判明していたようですが現在では奈良県道中和幹線工事その他で形状はすっかり失われ石室の石…
史遊会の古代史教室見学会、公園館に立ち寄った後 馬見丘陵古墳群に向かいます。 4世紀末から6世紀にかけて造営されたと見られる馬見丘陵古墳群はその位置関係から大きく北群,中央群,南群 の三郡に分ける事が出来、奈良県営馬見丘陵公園は中央群の古墳群を公…
史遊会の古代史教室見学会、お花見を終了して古墳群へ向かう前「県営馬見丘陵公園・公園館」に立ち寄ります。 馬見丘陵公園の古墳や自然について分かり易く解説、古墳模型や発掘品の復元レプリカの展示などがされて居ますが、博物館的な施設ではなく案内所的…
10月の羽曳野市・フィールドミュージアムトーク史遊会の古代史教室見学会は、奈良県北葛城郡河合町、広陵町から大和高田市にかけて広がる馬見丘陵とその周辺に点在する馬見古墳群の公園整備された馬見丘陵公園内の古墳巡りです。 池部駅~緑道(馬見二の谷遺…
史遊会の古代史教室見学会 「大和・今井の寺内町と建国伝承地の陵墓をめぐる」昼食後後半の建国伝承地の陵墓「懿徳天皇陵」です。 古代史教室見学会最後のスポット「第4代天皇 懿徳天皇陵」御陵名は畝傍山南繊沙渓上陵。 欠史八代の御一人に数えられ、第3代…
史遊会の古代史教室見学会 「大和・今井の寺内町と建国伝承地の陵墓をめぐる」昼食後後半の建国伝承地の陵墓「安寧天皇陵」です。 「第3代天皇 安寧天皇陵」御陵名は畝傍山西南御陰井上陵、後世所在地が不明になり元禄修陵でも別地に、幕末修陵に際して現陵…
史遊会の古代史教室見学会 「大和・今井の寺内町と建国伝承地の陵墓をめぐる」昼食後後半「スイセン塚古墳」です。 「山本山 大師堂」から「スイセン塚古墳」、江戸時代「第二代綏靖天皇」陵に比定され、全長71m 後円部径46m高さ6m 前方部先端幅30m高さ3…
史遊会の古代史教室見学会 「大和・今井の寺内町と建国伝承地の陵墓をめぐる」昼食後後半「山本山 大師堂」です。 神武天皇陵参道から脇道を西にそれ、畝傍山北麓の森を抜け「山本山 大師堂・惠泉寺」へ。 昔からここは「山本のお大師さん」と呼ばれ、村人が…
史遊会の古代史教室見学会 「大和・今井の寺内町と建国伝承地の陵墓をめぐる」昼食後後半の建国伝承地の陵墓「神武天皇陵」です。 「初代天皇 神武天皇陵」御陵名は畝傍山東北陵、ここも元々は四条ミサンザイと云われ周囲約100m 高さ5.5mの円丘で、鳥形埴輪…
史遊会の古代史教室見学会 「大和・今井の寺内町と建国伝承地の陵墓をめぐる」昼食後後半の建国伝承地の陵墓「綏靖天皇陵」です。 大和三山の一山、畝傍山の山裾を取り囲むように初代 神武天皇陵、第2代 綏靖天皇陵、第3代 安寧天皇陵、第4代 懿徳天皇陵、そ…
史遊会の古代史教室見学会 「大和・今井の寺内町と建国伝承地の陵墓をめぐる」今井町の県指定文化財「今井まちなみ交流センター・華甍」です。 今井町旧環濠外の東南部にある、2階建中央本館と両翼左右対称に翼廊を配した風格ある建物。 1903年「高市郡教育…
史遊会の古代史教室見学会 「大和・今井の寺内町と建国伝承地の陵墓をめぐる」今井町の「春日神社」です。 大和の国は古来より興福寺領でしたが、そのせいで春日神社が多いのか先に廻った八木町にも春日神社は祀られていました。 今井町の春日神社も八木町の…
史遊会の古代史教室見学会 「大和・今井の寺内町と建国伝承地の陵墓をめぐる」今井町の「復元環濠」です。 今井町は中世後期より周囲を堀で囲んだ環濠寺内町でしたが、今では埋め立てられ跡を発掘調査などで痕跡が確認されていて、西口門から南西角の今西家…
史遊会の古代史教室見学会 「大和・今井の寺内町と建国伝承地の陵墓をめぐる」今井町の「今井山 稱念寺」です。 今井町が中世末から近世にかけて自治組織を持ち武装した「寺内町」として成立したのは、稱念寺を中核とし町も大きな発展をし大きな経済力を持つ…
史遊会の古代史教室見学会 「大和・今井の寺内町と建国伝承地の陵墓をめぐる」今井町の「今井まちや館」です。 「今井まちや館」は、明治以降空家の期間も長く破損も甚だしい状況になっていた建物を痕跡資料にもとづき当初の姿に復元、民具の展示や休憩施設…
史遊会の古代史教室見学会 「大和・今井の寺内町と建国伝承地の陵墓をめぐる」今井町の「小林豆腐店」です。 富田林地内町と違いお店の少ない今井町の中でよくNETなんかにも上がってる豆腐店。 ピーナツ豆腐という豆腐が有って、葛で固めるのではなく通常の…
史遊会の古代史教室見学会 「大和・今井の寺内町と建国伝承地の陵墓をめぐる」今井町の「重要文化財・旧米谷家住宅」です。 今井町では何軒かの古民家にガイドさんが常駐され無料で見学可能です。 旧米谷家住宅は、18世紀中頃の建築で切妻造、本瓦葺き、平入…
久しぶりに参加します羽曳野市史遊会の古代史教室見学会、今回は奈良県橿原市八木町から「今井寺内町」と建国伝承の地「畝傍山」の周囲 ”伝承の大王墓” を巡ります。 「旧六十八銀行八木支店」から「重要伝統的建造物群保存地区・今井町」へ。 飛鳥川の流れ…