東洋陶磁美術館『天目』

 6月2日にようやく再開館された東洋陶磁美術館

 11月8日まで特別展「天目 ー中国黒釉の美」特集展「現代の天目 ー伝統と創造」が開催中で、表はジリジリと照り付ける真夏の様な太陽が頭上高く、何となく付焼刃的展示展かななんて感じますが現代作家の作品が見たくて立ち寄り。

 新型コロナの影響で、開催途中休館に成った木村盛康さんの作品展が十分見れなかったのが残念でしたがまたの機会に期待して、入館時体温検査や氏名と連絡先を記入して入館します。

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 現代作家の作品展。f:id:jotoyumekoi:20200701022106j:plain

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もう咲き始めてますが、来月半ば頃には窓の外に凌霄花の赤い花が目立つ様に成ります。f:id:jotoyumekoi:20200701022247j:plain

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初夏の大阪城天守閣公園

 大阪府の緊急事態宣言も21日には解除予想で、まだまだ人影も疎らな初夏の気配漂う夕暮れまじかの「大阪城天守閣公園」。

 桜もすっかり葉桜に成って観光シーズンには間に合いませんでしたが、天守閣の一般公開も20日から再開されるそうで入場口前では検温所の臨時テントが設けられ準備の真っ最中でした。

 Miraizaも一店舗だけが営業中で、内部がジックリ見物できる良い機会なんですが中に入ってると遅く成りそうで残念ながらパス。 こうなると中国人観光客が行列を作ってた頃が懐かしく成りますが、あの喧騒はいつ戻って来ますか。

 

閑散としてます。f:id:jotoyumekoi:20200601004648j:plain

天守閣前Miraizaとの間で豊臣期石垣公開施設の工事中。f:id:jotoyumekoi:20200601004541j:plain

Miraizaの北側、大坂城御金蔵。
右は石垣公開施設工事現場。f:id:jotoyumekoi:20200601004552j:plain

天守閣入場口前で検温所の準備中。
明日20日から公開再開です。f:id:jotoyumekoi:20200601004604j:plain

豊臣秀吉公手植えの樟。f:id:jotoyumekoi:20200601004615j:plain

「杼樟之記」の碑。
秀吉公手植えの樟にしては新しくて小さいなぁ~ と思いますが、もともと此処には秀吉公手植え樟の言い伝えの在った樟が存在し、戊辰戦役の兵火で焼失枯れ木が残っていて、それを惜しんだ1898年当時の大坂衛戍司令官・小川又次中将が杼樟樹(クスノキ)を植樹し、この記念碑を建立その経緯が記されています。f:id:jotoyumekoi:20200601004626j:plain

旧第4師団司令部、現在はMiraiza。
ほぼ休業中で立て看板も目立たず、以前の雰囲気が感じられます。f:id:jotoyumekoi:20200601004530j:plain

Miraiza前、右端のお店だけが営業中。f:id:jotoyumekoi:20200601004637j:plain

大阪城大手門前f:id:jotoyumekoi:20200601004701j:plain

与謝蕪村銅像

 外出自粛近場旧跡巡り「渡辺の綱・駒つなぎの樟」から7ヵ所目は、少し遠出に成りますが淀川神社境内に2016年1月 生誕300年記念で除幕された「与謝蕪村銅像」

 何時もは城北通りから銅像の頭を後ろからチラッと見てるだけなんですが淀川神社境内から見学。

 芭蕉、一茶と並び称される俳諧の巨匠であり、江戸俳諧中興の祖とも謂われる「与謝蕪村」ですが、芭蕉などと違って功績の評価は明治の俳人正岡子規に依るまで待たねばならず、俳人・画人としての活動の大半も京都で生涯大坂には戻らず、生誕地とされる摂津国東成郡毛馬村(大阪市都島区毛馬町)も可成りの面積が淀川改修工事により川底に沈み、毛馬村の庄屋と言われる生家すら定かでない事も有ってか地元の偉人感は余り感じませんが、近年淀川堤防上に石碑の建立や毛馬大川の河川敷公園が「蕪村公園」と命名されたり商店街が「蕪村通り商店街」と改名されるなど生誕地でも顕彰の動きが起こっています。

 

以前は無かったお供え台?が置かれています。f:id:jotoyumekoi:20200601004316j:plain

城北通りを挟んで左後方に蕪村公園f:id:jotoyumekoi:20200601004328j:plain

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淀川神社

 与謝蕪村銅像の置かれた淀川神社

 淀川神社としての創建は1953年で百年にも満たず歴史の浅い神社でも数百年を数えるのが神社の常ですが、もともと同地には古くから淀川の治安を司る役所が置かれ、その守り神として十五神をお祀りする十五神社が開かれていてその創建は不明なれど平安期と思われるそうです。

 その十五神社が1909年合祀令により旭区の大宮神社に合祀され長らく無神の社殿だけが残されていましたが、1953年周辺三町の有志により再度十五神の遷座祭を行い名称も「淀川神社」として現在に至ると云う事です。

 今年は中止された様ですが、数年前から大阪場所の開催される3月の第一日曜日には春日山部屋の親方と若手力士が参拝されその握手会で人気が有ります。

 

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大楠の向こうに拝殿。f:id:jotoyumekoi:20200601003132j:plain

拝殿に掲げられた十五神名の記された扁額。f:id:jotoyumekoi:20200530184709j:plain

コロナ菌と有りますが、コロナはウイルスで細菌では有りません。f:id:jotoyumekoi:20200601003156j:plain

手水舎。f:id:jotoyumekoi:20200601003144j:plain

境内の淡嶋神社f:id:jotoyumekoi:20200601003210j:plain

こちらは稲荷社。f:id:jotoyumekoi:20200601003226j:plain

与謝蕪村銅像f:id:jotoyumekoi:20200601003238j:plain

神社北側の城北通りから淀川神社。f:id:jotoyumekoi:20200601003251j:plain

楠玉神社

 「渡辺の綱・駒つなぎの樟」楠龍王大神社の大樟木を挟んで東側に小さなお社が鎮座していて、2000年まで同地で操業していた日本製紙都島工場内にお祀りされていた「楠玉神社」です。

 2000年3月、前身の帝国製紙が1914年創業以来の歴史を閉じた際、この地に遷座されたお社で工場構内にお祀りされていた際には周辺のお社と合わせて5社が合祀されていて、狛狐が一対置かれて居たり正面の狛犬基部に職工一同と彫られて居たりします。

 ご祭神の「楠玉大神」と言えば靭公園の「楠永神社」にも楠木が御神体として合祀されていて、日本製紙都島工場内にもご神体と言えるような大楠が有ったんでしょうか。

 

2001年の遷座なのでまだ新しさを感じますね。f:id:jotoyumekoi:20200601002319j:plain

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神乃子稲荷大神も合祀されてるので狛狐がいます。f:id:jotoyumekoi:20200601002352j:plain

後に「楠街道開肇記念之碑」が建ってますが、「楠街道」とはどこに有るのか不明。f:id:jotoyumekoi:20200601002413j:plain

「楠街道開肇記念之碑」の裏書。大正元年の銘が入っています。f:id:jotoyumekoi:20200601002341j:plain

日本製紙時代の鳥居扁額の様です。f:id:jotoyumekoi:20200601002306j:plain

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渡辺の綱・駒つなぎの樟

 自粛延長で3月末からの近場旧跡巡り6ヵ所目、買い物ついでに「渡辺の綱・駒つなぎの樟」

 当地が善源寺荘と呼ばれた平安中期、善源寺荘を領した源頼光が1909年「櫻宮」に合祀されるまで旧善源寺村の産土神社としてお祀りした「八幡大神」が鎮座したところで、頼光四天王の1人 渡辺綱産土神社の八幡社に詣でるとき馬を繋いだ樟木が境内に植えられていて「駒つなぎの樟」の伝承が伝えられた様で、都島区のHPでは「当地が鎌倉期に源氏ゆかりの多田院領善源寺荘であったことや、この樹が樹齢 900年余もの大木であるところから、酒呑童子退治で有名な源頼光渡辺綱に結びつけられて生まれたものと考えられます。」と記されていてあくまでも伝承であるとしています。

 樹齢900年以上と推定されたこの大樟木、大正の頃は周囲約12m 高さ約30mもの大木で、昭和の始めに大阪府の天然記念物第1号?に指定されましたが残念な事に太平洋戦争の戦災で枯死し残された姿が往時を偲ばせますが、大阪府天然記念物からは外されています。

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現在は「櫻宮」の御旅所とされます。f:id:jotoyumekoi:20200601000930j:plain

何かの構造物の親柱だった様です。f:id:jotoyumekoi:20200601000854j:plain

大阪府天然記念物指定の駒札。f:id:jotoyumekoi:20200601000905j:plain

太平洋戦争中の建碑だと思いますが「忠君愛國士・渡邊綱之藎跡」と読めます。f:id:jotoyumekoi:20200601000944j:plain

合祀された産土神八幡宮旧跡」碑。f:id:jotoyumekoi:20200601000956j:plain

二之鳥居に扁額。
「楠龍王大神」が大樟木。f:id:jotoyumekoi:20200601001007j:plain

大楠木。f:id:jotoyumekoi:20200601001020j:plain

「渡辺の綱・駒つなぎの樟」です。f:id:jotoyumekoi:20200601001031j:plain

鵺塚

 愈々遠くには行けなく成って来たので、コーヒー豆を補充しに行ったついでに近くの「鵺塚」。

 「鵺」とは、平家物語だったかに都を悩ます 頭はサル、胴体はタヌキ、四肢はトラ、尾はヘビの怪鳥で、怯えた近衛天皇の勅命により源頼政に射落とされ死骸は「うつぼ舟」に乗せられて川に流されたと有り、大阪の名所を綴った「蘆分船」ではその塚が今の都島区役所辺り滓上江村の母恩寺のそばにあり、「摂津名所図会」では流れ着いた鵺の死骸を埋めて塚を立てたと記されていて、兵庫県の芦屋浜にも同じ言い伝えが伝わっていてそちらにも「鵺塚」が建てられています。

 射落とされた京都では二条城の北にある二条公園の一角に「鵺」を祀る鵺大明神の祠が建っていて、京都には伏見区深草にも鵺塚が存在し、清水三年坂の傍らにも有ったそうで、此方は流された川が鴨川との解釈ですかね。

 大阪港のエンブレムにも採用されたりしていて、由緒謂れを書くと結構メジャー級の旧跡なんですが意外と知られて無くて、私も近くの事も有って横目で見て前を通る事は有ってもじっくり見たのは10年ぶり位なんですが、変わらず地元の方に大切にお祀りされています。

 

 鵺塚。f:id:jotoyumekoi:20200501061052j:plain

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京都なんかでは駒札ですが、大阪は分かり易い案内板です。f:id:jotoyumekoi:20200501061104j:plain

正面奥が鵺塚なんでしょうね。f:id:jotoyumekoi:20200501061116j:plain

一番上の石には「鵺塚」と刻まれていて、明治の初め大阪府により改修され、「蘆分船」に記されてる母恩寺からは少し離れてるのでその時この地に移された様です。f:id:jotoyumekoi:20200501061139j:plain

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大阪港のエンブレム。f:id:jotoyumekoi:20200501061216j:plain

祠は、1957年地元の人々により改修され現在に至ってます。f:id:jotoyumekoi:20200501061206j:plain

櫻宮

 「浪花百景」「摂津名所図会」などにも描かれ都島区地域名「桜宮」の由来とも成ってる大川沿い堤上、江戸時代から続く桜の名所「櫻宮」、主祭神天照大御神八幡大神仁徳天皇

 創始は東生郡(東成郡)野田村小橋・櫻の馬場(現在の都島区城東区境の桜小橋辺りと推定)に祀られたのが始まりとされ、1620年(元和6年)大和川の洪水で現在地の少し北辺りに社殿が流れ着きその地の水辺に祀られていましたが、度々水害に会うため少し南で堤上の現在地に移ってます。

 元々中野村・野田村・備前島町の産土神でしたが明治末期の合祀令により現北区・北野兎我野町の若宮八幡神社、現城東区・鯰江町の新喜多神社、毛馬の八幡大神宮、善源寺町の産土神社を合祀したので「櫻宮」の氏子は結構広範囲に及び、私の従弟の結婚式も当社でしたが、距離的には二社を超えて居て少し驚いた事が有ります。

 「櫻宮」を桜宮神社と呼ぶ方が居ますが、櫻宮は櫻「宮」なんで呼称に神社を付けるのは間違いと言えます。

 処でこの時期、大川沿いの毛馬桜ノ宮公園がBBQ場と化し人込みと喧騒で「櫻宮」には桜の頃にはお詣りしたことは無くて初めてですが、河川敷の桜並木にBBQが居なくて静かな雰囲気でお詣りが出来ます。

 

一之鳥居。f:id:jotoyumekoi:20200408022440j:plain

参道、堤防上の為か南北に細長い境内です。f:id:jotoyumekoi:20200408022455j:plain

参道を抜け、道を挟み注連縄柱。f:id:jotoyumekoi:20200408022511j:plain

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注連縄柱を抜け拝殿前。
境内の桜の古木は散り出してます。f:id:jotoyumekoi:20200408022540j:plain

手水舎。f:id:jotoyumekoi:20200408022553j:plain

凝った造りの手水龍。f:id:jotoyumekoi:20200408022609j:plain

拝殿。f:id:jotoyumekoi:20200408022624j:plain

早馬稲荷神社。f:id:jotoyumekoi:20200408022638j:plain

皇紀2600年建立の「遥拝所」。
伊勢神宮が穴から遥拝できるはずですが、見えるのはラブホテル。f:id:jotoyumekoi:20200408022652j:plain

 境内。f:id:jotoyumekoi:20200408022725j:plain

八柱神社
八幡大神春日大神住吉大神琴平大神・玉津嶋大神・菅原大神・恵比須大神・目神八幡大神が祀られています。f:id:jotoyumekoi:20200408022740j:plain

祖霊社。f:id:jotoyumekoi:20200408022752j:plain

大正14年4月の第2次大阪市市域拡張記念碑。
人口211万人で日本一、これ以降大大阪時代を迎えます。f:id:jotoyumekoi:20200408022806j:plain

西の鳥居。f:id:jotoyumekoi:20200408022819j:plain

左に櫻宮、右は大川河川敷・毛馬桜ノ宮公園。f:id:jotoyumekoi:20200408023025j:plain

参道から一之鳥居。f:id:jotoyumekoi:20200501060728j:plain

境内には八重桜何本か植えられていて咲き始めた処。f:id:jotoyumekoi:20200501060743j:plain