大阪讃岐うどん・つるまる本舗 源八橋店

 源八橋西詰天満橋筋との交差点北角の洋館、南角の元石黒商店現ニュートバコと同じ意匠の洋館ですがこちらは一回り小さく昨年7月うどんチェーン店の「つるまる本舗 源八橋店」にリニューアルされてます。

 処で正面看板に掲げられた「大阪讃岐うどん」とは何ぞやと云う事ですが、「つるまる饂飩」フジオフーズの新展開、細めで柔らかい通常の大阪うどんではなく、堅くて太い讃岐うどんの特徴も取り入れた少し堅めで少し太めの新食感のうどんだそうで、値段も「つるまる」の210円がここでは290円に成ってます。

 この「大阪讃岐うどん」とは難波の「釜たけうどん」が発祥の様ですが「釜たけうどん」の方は昨年閉店、同じ店主が近くで今度は細麺の「き田たけうどん」を新たに開店されてるそうです。

 

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日本フィンランド外交関係樹立100周年記念特別展『フィンランド陶芸 芸術家たちのユートピア―コレクション・カッコネン』

 7月13日から大阪市立東洋陶磁美術館で開催されてる日本フィンランド外交関係樹立100周年記念特別展、閉会の10月14日まであと数日と成ったのでやっと涼しく成った事も有り観賞して置くことにしましたが、館内は終了間際と有ってリピーターらしき人も多く結構混んでて受付には行列が出来てました。

 本展はフィンランド工芸のコレクター、キュオスティ・カッコネン氏の所蔵作品から、137件によりフィンランド陶芸の豊かな世界をご紹介しますと言う事ですが、テキスタイル・ブランドとして知られる「マリメッコ・スピリッツ フィンランド・ミーツ・ジャパン」が特別展として同時開催で、マリメッコで活躍する3名のデザイナーにより「JAPAN」をテーマとした新作パターンと制作過程が紹介されています。

 

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私が今回一番気に入った作品です。f:id:jotoyumekoi:20191009215438j:plain

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綺麗な赤。f:id:jotoyumekoi:20191009215500j:plain

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透かし彫りの蛍手。f:id:jotoyumekoi:20191009215519j:plain

二色の土を合わせて焼いた作品で、釉薬を掛けず素焼きです。f:id:jotoyumekoi:20191009215527j:plain

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鶴と亀です。f:id:jotoyumekoi:20191009215656j:plain

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マリメッコ茶室。
テキスタイルが張られています。f:id:jotoyumekoi:20191009215721j:plain

日本のイメージ。f:id:jotoyumekoi:20191009215733j:plain

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みおつくしプロムナード『緑の賛歌』

 工事中で通れなかった栴檀木橋下を西へくぐり「野鳥水飲場」前を通り府立中之島図書館南、ケヤキ並木の続くみおつくしプロムナードの「緑の賛歌」。

 彫刻家・本郷 新さんの作品で、特殊鋼商社・浅井産業の創業者・浅井鉞次郎さんが大阪市緑化運動の一つとして1973年大阪市に寄贈したものだそうです。

 

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史跡ハイキング『まぼろしの港、長柄船瀬を探る・高瀬神社』

 鴻池新田会所主催の史跡ハイキング、大枝公園から「高瀬神社」。

 主祭神は日本神話では最初の神とされる「天之御中主神」、辺りは古来より交通の要所で淀川舟運の拠点であり、幾度か戦火に見舞われその都度再建を繰り返し現代の小さな社殿に成りましたが、往時には神殿その他すべて備わった大社で八幡宮とも呼ばれ、境内に残された数本の大楠木にその片鱗が伺えます。

 延喜式内社として延喜式に記載が有る事から10世紀以前に遡る古社で有る事には違いありませんが、当社の祭神「天之御中主神」の名称から中世では北極星と結びつき妙見信仰と一体化して祀られる例が有り、当社もそうかなと思わせますがその記録や形跡は無いそうで、付近は河内湖が徐々に堆積し形成された地で縄文時代から続く遺跡も近くには存在し想像以上に古くから祀られてた古社ではと思われます。

 地名の由来は、古来この辺りを淀川の古名とも言う高瀬川が流れ、淀川と合流した大和川から流れ込む土砂で浅瀬が広がり高瀬と言う地名に成ったと云う事で、「播磨国風土記」に、景行天皇が印南別嬢を追いかけ「高瀬の済」で渡河しようとした際川の運航を司っていた紀氏の渡守に「私はあなたの家来でない」と渡船を拒否される事柄の記載が有り、当時の天皇家は紀氏と同列の一王家に過ぎず、正木先生の古田史学会で繰り返し主張される地方王権の鼎立を証明する一事例でも有ります。

 また平安初期の当地付近は、幾筋かの川が交差し風光明媚な土地だったらしく「高瀬の里」や「高瀬の淀」など歌枕の地として知られ枕草子にも語られています。

 

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拝殿。
江戸中期の再建だそうで流造かな。f:id:jotoyumekoi:20191003121749j:plain

砲弾が奉納されていて、参加者には結構珍しがられてましたが大阪砲兵工廠の協力工場が多数存在した北河内の神社では多数見られます。
隣の歌碑には古来から歌に詠みこまれた「高瀬」の歌碑だと思いますが読み取れず。
境内にはもう一基「高瀬の里」を読み込んだ「衣笠内大臣」の歌碑が有ります。f:id:jotoyumekoi:20191003121801j:plain

境内の大楠木、樹齢300年。f:id:jotoyumekoi:20191003121812j:plain

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摂社の「楠木稲荷神社」。f:id:jotoyumekoi:20191003121842j:plain

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元 川東提灯店

 豊臣時代淀川左岸の堤防として築かれた文禄堤と上を通る京街道守口市に今も残る約750mの端、国道1号線八島交差点手前の3代続きTVなどでも紹介された「川東提灯店」

 残念な事に最近廃業されたんですが、お店間口右端の雨戸で囲まれたショーケースの様な造作、一見たばこ屋かなとも思いますが、私が知ってる営業中でもすでに雨戸で囲われていて中に何が置かれていたか良く分かりません。

 広い間口の風格ある佇まいで、軒上には鍾馗さんが2体置かれ、うだつには漆喰のレリーフも見られたりで廃業されたのが誠に残念、早急にリノベされる事を願っています。

 

昨年までは営業されてた様な記憶が有ります。f:id:jotoyumekoi:20191003024707j:plain

右端の雨戸で囲まれた部分とタイル。f:id:jotoyumekoi:20191003024726j:plain

大阪では珍しい鍾馗さんが2体。f:id:jotoyumekoi:20191003024716j:plain

うだつの漆喰レリーフf:id:jotoyumekoi:20191003024736j:plain

早急にリノベされ無いかな~。f:id:jotoyumekoi:20191003024657j:plain

史跡ハイキング『まぼろしの港、長柄船瀬を探る』

 これまで何回か、付け替え以前の主に北河内の旧大和川川筋や平野川川筋を巡るなどが催行され参加したかった「史跡重要文化財 鴻池新田会所」主催の史跡ハイキング、今回のテーマは「まぼろしの港、長柄船瀬を探る」に初めて参加。

 ネタ元は「住吉大社神代記」の「長柄船瀬本記」らしく、それならば当時の該当地域は湿地の様な浅瀬が広がっていて「港」と呼べるような構造物は無くて、今回のテーマを正確に言えば「まぼろしの港とも言える、長柄船瀬を探る」に成ると思います。

 処で、住吉大社の「長柄船瀬本記」から場所を比定すると、京阪本線京橋駅から守口市駅京阪本線両サイド一帯に成る様で、今回ご案内の鴻池新田会所学芸員・別所さんによると京橋駅から少し東に国道1号線の北側辺りとされてる様で、私の住まいする地元辺りに成ります。

 今回のコースは、京阪守口市駅大枝、高瀬、高瀬川跡、千林駅旧淀川堤防跡、推定強頸絶間跡、関目、野江、京橋駅

 以上を廻り、見どころは守口市駅すぐ北に残された文禄堤址に成ると思いますが、別所さんの案内で川筋も定まらなかった旧淀川筋の所々に残された自然・人口の堤防痕跡を探りながら京橋で解散、私は地元なんで皆さんとは少し手前で別れる予定でしたが、9月末の事で対策を怠り季節外れの真夏日に当たり森小路辺りから生まれて初めて熱中症に成ったらしく、途中まで付き添って頂いて近くの事でなんとか家に帰りつきましたが、帰路が遠ければ救急車のお世話に成ったのかな。

 

京阪守口市駅東口を出た処で、文禄堤本町橋を背に別所さんの解説。f:id:jotoyumekoi:20191001121301j:plain

文禄堤を切り開いて作られた道に架けられてる本町橋、橋上の道が京街道f:id:jotoyumekoi:20191001121311j:plain

文禄堤に上がり京街道沿いの復元された高札場。f:id:jotoyumekoi:20191001121322j:plain

文禄堤上、京街道を歩きます。
カフェ「BUNROKU 文禄堤薩摩英国館」。f:id:jotoyumekoi:20191001121333j:plain

みよし写真館。f:id:jotoyumekoi:20191001121343j:plain

みよし写真館のうだつ、漆喰で家紋?が入れられてます。f:id:jotoyumekoi:20191001121354j:plain

京街道文禄堤から奈良・野崎に向かう古堤街道(野崎街道)に向かう古道「来迎坂」。f:id:jotoyumekoi:20191001121405j:plain

下の地図、オレンジ色の太線が京街道文禄堤f:id:jotoyumekoi:20191001121415j:plain

廃業され空家に成った? 3代続いた元提灯屋さん
ここから国道八島交差点に一旦出て折り返します。f:id:jotoyumekoi:20191001121427j:plain

元提灯屋さんのうだつ、漆喰の細工が有ります。f:id:jotoyumekoi:20191001121438j:plain

先ほど通過したカフェ「BUNROKU 文禄堤薩摩英国館」f:id:jotoyumekoi:20191001121449j:plain

文禄堤
安土桃山時代の文禄5年(1596)、豊臣秀吉は、毛利輝元らに命じて、淀川左岸に京都と大坂を最短で結ぶ陸路を整備させました。これが京街道または大坂街道と呼ばれる堤防道です。この文禄堤の長さは約27キロメートルといわれていますが、淀川の改修等でその多くは姿を消しており、ここ守口にのみ面影をしのぶことができます。
以上守口市HPよりf:id:jotoyumekoi:20191001121459j:plain

本町橋から守口市駅
ここで文禄堤を下りて高瀬神社に向かいます。f:id:jotoyumekoi:20191001121510j:plain

私などが見ると七曲りと思ってしまいますが、別所さんによると旧淀川増水時の逃げ水筋なんだそうで、この辺りの地名「大枝」は逃げ水の川筋を現すそうです。f:id:jotoyumekoi:20191001121526j:plain

大枝公園。f:id:jotoyumekoi:20191001121539j:plain

高瀬神社f:id:jotoyumekoi:20191001121552j:plain

この辺りの地名「高瀬」の起こり高瀬川跡。f:id:jotoyumekoi:20191001121605j:plain

千林への道すがら。
右の蔵は石積みで嵩上げされてます。f:id:jotoyumekoi:20191001121615j:plain

長屋門f:id:jotoyumekoi:20191001121625j:plain

お昼休み後、千林のガードをくぐり千林商店街へ。f:id:jotoyumekoi:20191001121635j:plain

京阪・千林駅前の薬店、現在のお店とは関係ありませんがダイエーの前身「サカエ薬局」創業の地で、若い頃の中内さんがお店に居られたそうです。f:id:jotoyumekoi:20191001121701j:plain

千林商店街アーケード裏の緩い坂道、堤防の痕跡だそうで、この辺りには至る所に残されてます。f:id:jotoyumekoi:20191001121646j:plain

強頸絶間。
日本書紀にて武蔵の人強頸が人柱にされたとある淀川茨田堤の決壊地。
石碑自体は個人宅地内に在り、塀の外一角に案内板が建てられてます。f:id:jotoyumekoi:20191001121713j:plain

城北川古市橋手前の公園に建てられてる京かいどう案内碑f:id:jotoyumekoi:20191001121725j:plain

公園横の道が路面電車時代の京阪線路。f:id:jotoyumekoi:20191001121738j:plain

城北川古市橋の歴史案内板。f:id:jotoyumekoi:20191001121748j:plain

関目神社。
私は熱中症でフラフラで、此処から都島通を少し南に行った辺りで別れます。f:id:jotoyumekoi:20191001121801j:plain

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大坂町中時報鐘・釣鐘屋敷跡

 土佐堀通から旧熊野街道の坂道を南に上り少し行った処を右に曲がるとお寺でもないのに釣鐘が下がってます。

 江戸時代大坂町中に時報を告げた鐘「大坂町中時報鐘」、辺りは釣鐘屋敷跡です。

 1634年(寛永11年) 3代将軍家光が大坂城へ来たとき、大坂町中の地子銀の永久免除を約束、その恩恵に感謝して釣鐘をつくり町中に時を知らせ続けたと云う時報鐘も1870年に役割を終へ、どういう訳か大阪府庁屋上で保管と言えば聞こえはいいが雨曝しで放置して有ったのを1985年地元の熱意で元々の場所、現在地に移転今に至ってますが、2015年地主から明け渡しを求めて釣鐘の所有者である大阪府に対して訴訟が起こされ、その後発表もなくそろそろ結果が出ても良い頃なんですがどう成りますか。

 

左の木陰に釣鐘が見えます。f:id:jotoyumekoi:20190928213651j:plain

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一日三回コンピュータ制御で時を告げています。f:id:jotoyumekoi:20190928213714j:plain

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戎屋北野

 ガスビルの西、御霊神社北隣、大阪市中央区平野町の「戎屋北野」。

 以前は化粧品屋さんでしたが今は婦人服店、現役のたばこ屋さんでも有り、昭和初期、1930年(昭和5年)の建築だそうで設計施工は不明の様です。

 屋上看板下のロンバルト帯に「北の北の北の北の」の隠し文字が仕込まれていて全体に良い雰囲気です。

 

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たばこ屋さんです。f:id:jotoyumekoi:20190928004041j:plain

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よく見ると、ロンバルト帯に「北の北の北の北の」の隠し文字が仕込まれています。f:id:jotoyumekoi:20190928004111j:plain