幕末 明治

伏見奉行所跡

指月伏見城跡から西に、国道24号線を超えて京都市営桃陵団地入口に立つ「伏見奉行所跡」碑へ。 伏見奉行とは江戸幕府が直轄地経営のため置いた遠国奉行の内の一役職、伏見の町政・木津川の船舶の取り締まりおよび京都町奉行とともに近江国・丹波国の司法・行…

坂本龍馬 お龍『結婚式場』跡

東山三条通を粟田神社に向かう途中で「坂本龍馬 お龍 結婚式場 跡」。 以前ここには東山ユースホテルが建ってた場所ですが、2009年に閉館約40年の歴史に幕を下ろし後にはマンションが建って、「結婚式場 跡」碑もそのまま引き継ぎ碑は2011年建碑なので2年間…

池田屋事変殉難志士墓所跡碑

最近では大阪市でも歴史的出来事を記念する石碑やプレートが目立つ様に成って来ましたが、そこら中に記念碑の建ってる京都ではまだ足りないらしく新しい記念碑が置かれ続けられて居て、ここは2009年に建立された「池田屋事変殉難志士墓所跡碑」、「京都立春…

京都守護職屋敷跡

重要文化財 京都府庁旧本館正庁は、幕末京都に置かれた京都守護職の上屋敷の在った所でも有り、その職責は京都所司代よりも上席とされ京都と大坂の治安維持にあたり会津藩主・松平容保がその任に当たりました。 上屋敷は何回か増改築が施され現在の京都府庁…

大阪城の号砲

大阪城天守閣登閣口手前に青銅?製の大砲が置かれてます。 子供の頃は跨って遊んだりした覚えが有り大阪城天守閣では一番大好きな展示物なんです。 幕末に津山藩で鋳造され天保山砲台に置かれた大砲で、明治に成ってこちらに移されたと有ります。 大正頃まで…

大阪城天守閣『特別展 幕末・維新の人とことば』

幕末から明治維新激動の時代に活躍した人々の書や手紙類を中心に「第1章 世の中を思い、自分を見つめる」の大塩平八郎から「第5章 近代日本を切り開く」で明治の元勲たちまで、時代を追って展示されていて彼らの人間像や時代背景などが明らかに成って行きま…

草に埋もれ看板が倒れた『洗心洞跡』石碑

先日の「大塩平八郎の乱・戦跡巡り」最後のポイント、大塩平八郎の私塾「洗心洞」の存在した辺り、造幣局官舎敷地内に成りますが「洗心洞跡」石碑が草に埋もれ、台風21号の被害か案内板が倒れたままでした。 台風被害は不可抗力も有るかもしれませんが、7割が…

福澤諭吉誕生地

堂島リバーフォーラムまで来たのでとなりのABCホール南東角1万円札の「福澤諭吉誕生地」。 当地 中津藩蔵屋敷で生れ緒方洪庵の適塾に学び、慶応義塾の創始者と成った「福沢諭吉」です。 玉江橋から堂島川。左の港が「福島(ほたるまち)港」、その後ろがABCホ…

烏丸通『藤井右門宅跡』

京菓子資料館から烏丸通を南に少し、街中には珍しい大きな石碑が建ってます。 藤井右門さんは江戸中期尊王の思想家、幕府に危険人物とみなされ処刑された尊王論者。 この時期京都では「宝暦事件」「明和事件」と幕府による尊王論者弾圧事件が立て続けに起き…

京都三条・高山彦九郎先生

朽ちはてて 身は土となり 墓なくも 心は国を 守らんものを 1928年に建てられた高山彦九郎像、1944年に金属回収令で一旦姿を消しましたが1961年に場所を変えて再建された「高山彦九郎拝礼像」。

三条通・高瀬川

高瀬川にかかるこの三条小橋を渡り新選組は池田屋に向かい、取り逃がした浪士に一太刀浴びせた新選組の刀傷が三条小橋の欄干に残ってるそうですが、いつも夜に成ってて確認できずです。 三条小橋から高瀬川に向かうと、鳥獣戯画甲巻ウサギとカエル相撲図の模…

三条通『池田屋』

時は幕末 祇園祭の宵山、御所に火を放ち、その混乱に乗じて孝明天皇を長州に奉じる謀議の最中、事前に察知していた新選組が襲撃した池田屋事件、その現場がここ。 長州藩の定宿だった旅籠・池田屋、その後も旅籠として営業を続け1960年ころに取り壊され、現…

花外楼 北浜本店

世に云う「大阪会議」の舞台となった「花外楼 北浜本店」。

大阪城公園『城中焼亡埋骨墳』

大阪城公園のサクラも満開、今週末は大変な人出に成りそうですがそんな大阪城公園の南、中央大通りを挟んだ日生球場跡に工事中の森ノ宮キューズモールの真向い、通路から少し離れた木立の中にひっそりと佇む慰霊碑。 慶応4年(=明治元年、1868)1月、明治維…

浪華仮病院跡(大福寺)

明治新政府は、大阪に本格的な医学専門教育学校と病院建設を計画し学校に付いては舎密局が置かれましたが、病院の方は中々進捗せず大阪に行幸された明治天皇の御下賜金も有り1868年緒方惟準を院長に、主席教授をオランダ人ボードウィンで、ここ天王寺区上本…

慶立山 萬福寺・新選組『大坂旅宿跡』

天王寺区下寺町の松屋町筋沿い慶立山「萬福寺」、1594年 前田利家の弟、前田利信が開創した西山浄土宗光明寺派の寺院、幕末に新選組の大坂屯所が4年間置かれた寺院でも有ります。 新選組を配下に収める京都守護職は京都だけでなく大坂の治安維持の任も負って…

大同生命保険株式会社『創業110周年記念特別展示』

豪商「加島屋(広岡家)」の創業した大同生命110周年記念事業で、その加島屋に伝わる歴史的文書が展示されしかも写真撮影自由という事で写真を撮り過ぎたシリーズ、見学日9月30日が最終日「大同生命保険株式会社 創業110周年記念特別展示」です。 豪商「加島…

特別史跡 大坂城跡発掘調査現場一般公開

最近は3か所周りが常態化してますが、9月22日(日) 中之島の後2カ所目は大坂城跡発掘調査現場一般公開に行って来ました。 昭和59年の発掘調査で見つかった豊臣秀吉による築城時の石垣の一部を調査後に土で埋め戻されたものを約30年ぶりに再発掘されたものです…

『坂本龍馬 避難の材木小屋跡』碑

京都伏見・濠川に架かる大手橋のたもと坂本龍馬襲撃事件「寺田屋事件」で襲撃された坂本龍馬が逃げ込んだ材木小屋の有った所です。 以下長くなりますが、石碑に添えられた碑文の全文です。 慶応2(1866)年1月24日未明、薩長同盟を締結した坂本龍馬が、長州藩…

歴史あふれる北船場を訪ね歩くまちあるき『適塾』

「歴史あふれる北船場を訪ね歩くまちあるき」、国の重要文化財、緒方洪庵の「適塾」に向かいます。 正式には「適々斎塾」、または「適々塾」とも称され、緒方洪庵の号である「適々斎」が名の由来だそうです。 緒方洪庵の私塾「適塾」は、幕末の25年間開塾さ…

まち歩きツアー企画下見会・夕陽ケ丘『藤原家隆卿の塚』『伊達家・陸奥家・墓所跡』『小松帯刀墓所跡』

「愛染堂 勝鬘院」から少し北に行くと、この辺りの地名「夕陽ケ丘」の由来とされる「藤原家隆卿の塚」と「伊達家・陸奥家・墓所跡」「小松帯刀墓所跡」がほぼ一カ所に存在します。 新古今和歌集の選者の1人として知られ、自らの死期を悟った家隆は、日想観…

『藤井竹外邸址』碑

竹と酒をこよなく愛し、1807年(文化4年)高槻藩士・藤井沢右衛門家に生まれ鉄砲奉行としてお城に勤めた幕末の漢詩人・藤井竹山。 詩は頼山陽に学び山陽亡き後は梁川星巌に師事、七言絶句を得意とする事から「絶句竹外」と称され代表作に吉野山の桜と南朝へ…

相国寺から同志社大学へ『藤井右門宅跡』

相国寺から同志社大学 の途中、烏丸通の「藤井右門宅跡」。 相国寺からの続きで、烏丸通から室町キャンパス・寒梅館、今出川キャンパス、冷泉家邸宅を巡りますが、足が上がらなく成って来ました。 烏丸通 寒梅館の北に、尊王論者の儒学者・藤井右門宅跡。 越…

大江護国神社『山口藩殉難諸士招魂碑』

大江神社の摂末社「大江護国神社・山口藩殉難諸士招魂碑」。 1870年に山口藩(長州藩)によって建立され、「蛤御門の変」に殉じた48名の長州藩士(山口藩)の霊が祀られています。 所で、長州藩は1864年の「蛤御門の変」後、約250年間藩庁を置いた長門国 萩…

初夏の京都・洛北パワースポット巡り『千松山遍照院・上善寺』

上善寺は、「京の六地蔵巡り」のお寺として有名で、夏も終わりに近づいた8月22日、23日の両日、都の出入り口(街道沿い)六ヶ所に祀られた地蔵菩薩を巡拝して賑います。 上善寺は、洛北・深泥池より移した「深泥池地蔵尊」別名「鞍馬口・地蔵尊」をお祀り…

冬の京都・新春洛南パワースポット巡り『東福寺塔頭・稲土山 霊雲院』

本尊は文殊菩薩、1390年に岐陽方秀が開基。 見所は枯山水の庭で「九山八海の庭」「臥雲の庭」の2庭、久しく荒廃していた物を、昭和を代表する造園家・重森三玲が1970年に復元。 幕末には、西郷隆盛と勤王の僧「月照」が維新へ向けて密議を交わした…

冬の京都・新春洛南パワースポット巡り『東福寺塔頭・退耕庵』

本尊は「千手観音」、1596年に安国寺恵瓊によって再興された塔頭で、安国寺恵瓊、石田三成、宇喜多秀家らが関ヶ原の戦いの謀議を図った地と伝えられています。 幕末の鳥羽・伏見の戦いの際、東福寺に長州藩の陣が置かれた縁で、退耕庵は鳥羽伏見の戦や戊…

冬の京都・新春洛南パワースポット巡り『慧日山・東福寺』

「新春洛南パワースポット巡り」の続き、瀧尾神社から本町通りを南に、京都五山の第四位、臨済宗東福寺派大本山・慧日山「東福寺」に向かいます。 「洛南パワースポット」としましたがこの辺りは京都市東山区で「洛東・南」と称するのが一般的な様ですが、昨…

冬の京都 ・新春洛南パワースポット巡り『新島襄旧邸』

京都市資料館を後に、2,3軒お隣の様な昨年12月に見学した「新島襄旧邸」に向かいますが、残念な事に3月まで休館に成っていました。 新島襄さん宅は「上京區下切通シ通寺町東入ル松蔭町」だそうです。 これで寺町通りから鴨川を渡り、川端通り「京阪神宮丸太…

『御香宮』神社

城北川実行委員会 「秋の遠足」 京都伏見「十石舟」下船後は酒蔵を散策、竜馬通を抜け油掛通から京阪・伏見桃山駅を踏切を渡り大手筋通から「御香宮」参拝。 当初は「御諸神社」と称し創建の由緒等は不詳なれど、862年社殿を修造した際境内より良い香りの水…