石碑 記念碑 文学碑 銅像 石像

『鉢かつぎ姫』再会

京阪本線・香里園駅西口階段下の「鉢かつぎ姫」に、12年ぶりに再会。 12年前には駅前広場が整備されてそう間の無い頃で、閑散とした記憶が有りますが、今では多目的ビルや商業施設が整備され、随分賑やかな雰囲気で駅前らしさが漂いイメージが一新され少し戸…

YTV(読売テレビ)前でコナン君

森ノ宮の帰りに久方ぶりにOBPビジネスパーク。 何年か前にYTV(読売テレビ)が移転したとか言ってましたが、YTV前に来るのは初めてで、そう言えばOBPの中を通るのは何年ぶりに成るのかな。 OBPが開かれて最盛期頃だったかな、甥を連れてよくNEC・PCエンジン…

兵部大輔大村益次郎卿殉難報国之碑

何時も前を通りますが、目的地への途中の事で通り過ぎてしまう「大村益次郎卿殉難報国之碑」。 高さ約12mも有る大きな石碑は、紀元2600年の節目にあたる昭和15年11月に政財界や陸海軍の要人、大阪や関西を中心に88名の発起人並に発起人黨賛助者によって亡く…

鵲森宮(森之宮神社)

クリエティブライブラリー・フィールドワーク「聖マリア大聖堂」から帰り道に成る「鵲森宮(森之宮神社)」へ。 昨年の春に境内の拡張工事を行っていたので参拝傍ら見学。 玉造筋を南から向かうと、以前建物が建っていた辺りが更地に成ってて真新しい玉垣に…

西に約18m移動した東洋陶磁博物館前の『関一市長』像

中之島公園内の東洋陶磁美術館改修工事に伴い見当たら無く成っていた東洋陶磁美術館前の「関一市長像」に付いて大阪市に問い合わせていた処、先日東洋陶磁美術館総務よりご回答を頂き、 「元々設置されていた場所から約18m西側に移設の上、中央公会堂を臨む…

大阪城公園『蓮如上人袈裟懸の松』

「蓮如上人六字名号碑」の東に背中合わせの様に「蓮如上人袈裟懸の松」の切り株が残ってます。 と言っても現在の大阪城は、豊臣時代の大坂城の上に盛り土をして更地にしてから新たに建てられてるので、切り株とはいえ大坂本願寺時代の松が徳川大坂城に有った…

大阪城公園『蓮如上人六字名号碑』『蓮如上人碑』

大阪城梅林の南西出口を出てそのまま南に雁木坂を上った処に「蓮如上人六字名号碑」。 浄土真宗では「南無阿弥陀仏」の六字、「南無不可思議光如来」の九字、「帰命尽十方無碍光如来」の十字の三種の名号を御本尊としてお祀りしますが、「南無阿弥陀仏」の六…

東遊園地『慰霊と復興のモニュメント』

三宮駅からフラワーロードを南に目的地の神戸税関まで後少し、阪神高速3号神戸線高架橋手前西側の「東遊園地」。 遊園地と言ってもテーマパークなどでは無くて、1868年神戸居留地の外国人の為の西洋式運動公園「外国人居留遊園」として始まったのが遊園地と…

江戸堀 川跡の碑

土佐堀通りを西に昭和橋の手前、土佐堀通り沿い角のマンションを南に入ったマンション植え込みに「江戸堀 川跡の碑」。 江戸堀は、摂津大坂藩10万石の藩主・松平忠明による大坂夏の陣後の戦後復興の一環として再開された掘割工事で1617年(元和3年)に開削、…

『木津川橋』碑

大阪市内川絡みの名所などに設置されてる案内碑。 錦絵の名所図会と組み合わされ、御影石製の風格有る案内碑で 「木津川」案内碑の錦絵は「浪花百景の内・川口新大橋」長谷川定信の作です。 木津川橋東詰め本町通沿い北側の歩道に隣接した空き地に設置されて…

大阪市役所江之子島庁舎跡

1888年に全国に施行された市政の内、東京市・京都市・大阪市の3つの市を1889年から市制特例を適用、推薦による市長は置かず府知事と府職員が市の職責を兼務し1889年大阪市が発足。 その後1898年市制特例が廃止され、府庁から大阪市が分離され最初の市庁舎・…

雑喉場橋之碑

本町通を西に新なにわ筋を超え少し西に行った辺りで北に向かいますが、この道は百間堀の川筋に成り百間堀の東岸鷺島は天満の青物市、堂島の米市とならぶ大坂三大市場の一つ雑喉場の魚市が1931年まで存在しました。 その鷺島・雑喉場と対岸の江之子島を結び百…

ピースおおさか『刻の庭(ときのにわ)』

戦後60年にあたる2005年8月、ピースおおさか中庭に「刻の庭」と名付けられた「大阪空襲死没者を追悼し平和を祈念する場」が完成。 中央の慰霊塔には、お名前の判明し掲載許可を頂いた9143名(2022年3月31日)の大阪空襲戦没者名が刻まれています。 完成して…

中甚兵衛翁碑

近鉄けいはんな線・吉田駅の少し北に有る今米公園内に「中甚兵衛翁碑」が建ってます。 大阪で1914年に陸軍の大演習が行われた際、行幸された大正天皇より過去に遡って地元の功労者に叙勲があり中甚兵衛に対し、従五位が送られたのを記念して翌年有志により建…

筋違橋親柱

高麗橋筋から江戸堀1丁目にかけて江戸堀川が西横堀川に接続する辺りの西横堀川に筋違い斜めに架けられていた「筋違橋」、その親柱の1本は OsakaMetro 四つ橋線・肥後橋駅から東の阪神高速1号環状線高架下駐車場入口に金属製のレプリカと供に保存されています…

信濃橋親柱

OsakaMetro 四つ橋線・本町駅から本町筋を東に阪神高速1号環状線高架下に旧信濃橋の親柱が保存されています。 信濃橋は埋め立てられ道路に成った西横堀川に架けられていた橋で、阪神高速道路の建設が進められる中 西横堀川と共に姿を消しました。 ランキング…

出町柳の『鯖街道口』碑

加茂川に架かる出町橋西詰袂に「鯖街道口」の碑。 この地を起点に高野川左岸を北上して、八瀬・大原、近江国朽木から越前小浜へ至る若狭街道、古くから越前・若狭の海産物を運ぶ街道で有った若狭街道を傷みの早い鯖を夜通し運んだ事から何時しか「鯖街道」と…

『二条家邸跡』碑

赤山禅院から叡電で出町柳駅に出て同志社大学に向かいますが、今出川通り沿いの同志社女子大正門横に「二条家邸跡」碑が建ってました。 石碑側面に平成二十五年二月と刻まれていて、私が以前通った時(2012年)には存在して無かった様です。 二条家とは、藤…

『阿波堀 川跡』碑

大阪西郵便局の北東角に「阿波堀川跡」碑。 碑の隣の駒札に以下の解説。 阿波堀川は、西区では最も古く、慶長五年(一六〇〇)に開削され、西横堀川から分流し百間堀川に流入していた。 途中、八橋が架かり上流南側一帯は解船(ときふね)町とも呼ばれ解船業…

『大坂西町奉行所址』碑

本町橋の「マイドームおおさか」前の「西町奉行所址」碑。 大坂町奉行所は、江戸時代幕府直轄領のうち重要な場所に置かた行政機関「遠国奉行所」の一つ、江戸町奉行所・京都町奉行所と同じく2か所置かれ月交代の輪番制で役割を担ってました。 大坂町奉行所は…

超昇寺石碑と隆光大僧正

近鉄・大和西大寺駅を東に二条辻地蔵尊を過ぎた辺りに古い石碑「超昇寺札所石碑」が建ってます。 「超昇寺」は平安時代初頭に高丘親王が創建した寺院で、往時は壮大な伽藍を誇ったと思われますがその後荒廃、周辺の地名として残っていましたが「生類憐みの令…

『京町堀 川跡』碑

グランキューブ大阪の帰り、土佐堀川に架かる筑前橋を渡って東の阪神高速高架沿いを南に少し行くと角地(京町堀 1丁目辺り)の小さな公園「京町堀公園」に「京町堀川跡」碑。 京町堀川は、西横堀川の京町橋下流側より分流、西に向かって茂左衛門橋上流側で海…

林市蔵先生肖像

淀屋屋敷跡碑の西隣に「林市蔵先生肖像」。 元内務官僚で大阪府知事時代に法学者・小河滋次郎と共に民生委員制度の前身と成る方面委員制度を創設し府に救済課を設置した第15代 大阪府知事です。 方面委員制度制定は米騒動の騒乱が切っ掛けとも言え、福祉面だ…

『淀屋の屋敷跡』碑

淀屋橋の南詰から土佐堀通を西に少し行った土佐堀川沿い緑地に「淀屋の屋敷跡」碑。 京都・山城国の豪族の息子として生まれた岡本三郎右衛門常安は伏見城の造営や淀川の堤防改修などの土木工事を請け負い、その後大坂の十三人町(現在の北浜、石碑の所在地)…

世界連邦平和像

大阪城大手門から大阪府庁本館方面に向った上町筋沿いの「世界連邦平和像」後方植え込みの白い「オオムラサキツツジ」が満開です。 後ろ足を跳ね上げた馬に乗ってる少女像の大きな彫刻で、作者は長崎平和公園「平和祈念像」の作者で文化勲章受章者・北村西望…

朝鮮通信使が見た大坂 ~講演会並びに街歩き~(後半)

「朝鮮通信使川御座船を考える会」講演会と街歩き会、後半の街歩きに出ます。 全体の流れは「唐人澪」と言われ埋め立てられた旧尻無川跡道を歩きますが、2017年11月4日 同会で行われた「~水の朝鮮人街道~ 『唐人澪』探訪ウオーク」の南北逆コースを巡る事…

皇紀二千六百年記念碑

中央区某所の「皇紀二千六百年記念碑」。 今でも市内各所に残されてる皇紀二千六百年の紀元節を記念した石碑で、紀元節を祝う国旗掲揚台としての建てられた石碑だそうですが、終戦直後には倒され撤去されたり残っていてもセメントを塗って文字は消されてたり…

雑喉場魚市場跡

土佐堀通を西に昭和橋の手前を南に木津川沿いの細い道を少し行くと「江之子島公園」、その北東角に「雑喉場魚市場跡」碑。 1648年~1655年の頃には鷺島と呼ばれたこの地に大坂三郷の中央部に所在していた十七軒の会屋(魚問屋)を移転、名称を「雑喉場」と改…

伏見奉行所跡

指月伏見城跡から西に、国道24号線を超えて京都市営桃陵団地入口に立つ「伏見奉行所跡」碑へ。 伏見奉行とは江戸幕府が直轄地経営のため置いた遠国奉行の内の一役職、伏見の町政・木津川の船舶の取り締まりおよび京都町奉行とともに近江国・丹波国の司法・行…

伏見工兵十六大隊跡・碑

京都市営桃陵団地入口、伏見奉行所跡碑の道を挟んだ向かい「伏見工兵十六大隊跡」碑。 現在は京都市営桃陵団地に成ってる伏見奉行所跡一帯は、鳥羽伏見の戦い後陸軍用地に変わり伏見練兵場が開かれ伏見親兵隊が置かれ、その親兵隊が1871年兵部省直属の親兵隊…