石碑 記念碑 文学碑 銅像 石像

土佐堀通りの『前島 密』

土佐堀通り日本郵便大阪支店前の郵便制度の父と呼ばれる「前島 密」像。 幕臣ながら明治政府に招聘され民部省・大蔵省に出仕、太政官に郵便制度創設を建議、日本の近代郵便制度創設に深く係り「郵便」や「切手」「葉書」などの用語は彼が制定したと言われま…

与謝蕪村 銅像

外出自粛近場旧跡巡り「渡辺の綱・駒つなぎの樟」から7ヵ所目は、少し遠出に成りますが淀川神社境内に2016年1月 生誕300年記念で除幕された「与謝蕪村銅像」。 何時もは城北通りから銅像の頭を後ろからチラッと見てるだけなんですが淀川神社境内から見学。 …

渡辺の綱・駒つなぎの樟

自粛延長で3月末からの近場旧跡巡り6ヵ所目、買い物ついでに「渡辺の綱・駒つなぎの樟」。 当地が善源寺荘と呼ばれた平安中期、善源寺荘を領した源頼光が1909年「櫻宮」に合祀されるまで旧善源寺村の産土神社としてお祀りした「八幡大神」が鎮座したところで…

鵺塚

愈々遠くには行けなく成って来たので、コーヒー豆を補充しに行ったついでに近くの「鵺塚」。 「鵺」とは、平家物語だったかに都を悩ます 頭はサル、胴体はタヌキ、四肢はトラ、尾はヘビの怪鳥で、怯えた近衛天皇の勅命により源頼政に射落とされ死骸は「うつ…

『榎並猿楽発祥の地・榎並城跡伝承』碑と榎並小学校の桜

野江水神社に隣接する榎並小学校校門前に「榎並猿楽発祥の地・榎並城跡伝承」碑が建ってます。 「榎並猿楽」とは、平安時代から室町時代まで京都市立動物園・岡崎公園辺りに存在した五勝寺の筆頭・法勝寺修正会に奉納するする猿楽三座の内の一座、住吉大社に…

坂本龍馬 お龍『結婚式場』跡

東山三条通を粟田神社に向かう途中で「坂本龍馬 お龍 結婚式場 跡」。 以前ここには東山ユースホテルが建ってた場所ですが、2009年に閉館約40年の歴史に幕を下ろし後にはマンションが建って、「結婚式場 跡」碑もそのまま引き継ぎ碑は2011年建碑なので2年間…

池田屋事変殉難志士墓所跡碑

最近では大阪市でも歴史的出来事を記念する石碑やプレートが目立つ様に成って来ましたが、そこら中に記念碑の建ってる京都ではまだ足りないらしく新しい記念碑が置かれ続けられて居て、ここは2009年に建立された「池田屋事変殉難志士墓所跡碑」、「京都立春…

關 一 市長像と寒椿

大阪市立東洋陶磁美術館入口前に、市域人口も経済力も当時の東京市をしのぎ大阪市が最盛期を迎えた今に謳われる大大阪時代の第七代市長・關 一 の銅像が、戦時中の金属供出や戦災も免れ今に伝えられています。 關 一 市長時代の大阪市は、豊かな財政力を背景…

京都守護職屋敷跡

重要文化財 京都府庁旧本館正庁は、幕末京都に置かれた京都守護職の上屋敷の在った所でも有り、その職責は京都所司代よりも上席とされ京都と大坂の治安維持にあたり会津藩主・松平容保がその任に当たりました。 上屋敷は何回か増改築が施され現在の京都府庁…

高麗橋・里程元標跡

頬に当たる夕暮れの風に冷たさを感じ、橋の袂に落ち葉が吹き溜まり始めた高麗橋、晩秋の日は早く親柱に明りが灯り家路を急がせます。 江戸時代以降1922年現大阪市役所前に移るまで、ここが京街道・中国街道・紀州街道など諸国への道のり車馬賃の基点と成りま…

JR長岡京駅

所用を済ませ大阪へ帰ります。 帰りはJR長岡京駅をくぐって天神通りに出ますが、1931年に開設された当駅は地元新神足町民の受益者負担による誓願で開設された請願駅で、当初「神足駅」と呼ばれ1949年乙訓郡三村の合併で長岡町が誕生し1987年国鉄がJRと成った…

長岡京・天神通り

風の冷たさに思わずコートの襟を立て、踏みしめる落ち葉の音に冬の気配を感じる晩秋の昼下がり、長岡京に来てます。 目的地はJR長岡京駅近くなんですが、JR東海道線で来ると780円掛かり、天六から淡路で阪急京都線に乗り換えると500円で済むので阪急・長岡天…

草に埋もれ看板が倒れた『洗心洞跡』石碑

先日の「大塩平八郎の乱・戦跡巡り」最後のポイント、大塩平八郎の私塾「洗心洞」の存在した辺り、造幣局官舎敷地内に成りますが「洗心洞跡」石碑が草に埋もれ、台風21号の被害か案内板が倒れたままでした。 台風被害は不可抗力も有るかもしれませんが、7割が…

川崎東照宮跡(滝川小学校)

これまで石碑が立ってただけでした滝川小学校正門横の「川崎東照宮跡」碑横の塀格子にアルミ版製の案内板が取り付けられています。 最近、同じようなアルミ版製の史跡案内板が市内あちこちの小学校塀格子に取り付けられてます。 滝川小学校正門。 滝川小学校…

福澤諭吉誕生地

堂島リバーフォーラムまで来たのでとなりのABCホール南東角1万円札の「福澤諭吉誕生地」。 当地 中津藩蔵屋敷で生れ緒方洪庵の適塾に学び、慶応義塾の創始者と成った「福沢諭吉」です。 玉江橋から堂島川。左の港が「福島(ほたるまち)港」、その後ろがABCホ…

熊野かいどう・碑

京阪シティーモールを出て土佐堀通り沿いを西に熊野かいどう碑。 土佐堀通りを挟み正面に「川の駅はちけんや」。

大坂東町奉行所址

先日、初代大坂東町奉行・久貝正俊の菩提寺「正俊寺・久貝因幡守之墓所」を書きましたが、ならば大阪東町奉行所は何処にあったんでしょうか。 大坂町奉行は、江戸幕府が江戸以外の幕府直轄領中重要な場所に置かれた行政職「遠国奉行」の一役で首座は長崎奉行…

琵琶湖疎水 第1第2疎水合流地点

花粉の事や人込みを避けてなんか考えてて、足早に通り過ぎてくサクラに追いつけなくて慌て気味の「京都東山お花見・蹴上インクライン」の後「琵琶湖疎水 第1第2疎水合流地点」。 蹴上インクラインから蹴上船溜りに上がってきて、蹴上船溜りの少し上流に成る…

織田作之助と富田林・織田作之助記念碑

富田林「じないまち雛めぐり」の途中、じないまち四季物語本部の置かれた本町公園に織田作之助記念碑が建立されてます。 織田作之助と富田林は、昭和20年に長姉夫婦・竹中氏が住まいする富田林に転居、オダサクが昭和21年に喀血後東京の慈恵医大病院に入院、…

烏丸通『藤井右門宅跡』

京菓子資料館から烏丸通を南に少し、街中には珍しい大きな石碑が建ってます。 藤井右門さんは江戸中期尊王の思想家、幕府に危険人物とみなされ処刑された尊王論者。 この時期京都では「宝暦事件」「明和事件」と幕府による尊王論者弾圧事件が立て続けに起き…

寺之内通・小川と『百々橋 礎石』

宝鏡寺の南東角 小川通との辻「百々の辻」に応仁の乱の戦跡「百々橋の礎石」が一基保存されてます。 寺之内通に百々橋が架けられ、南北に流れていた小川を挟み百々橋を隔てて東西両軍が幾度か合戦を繰り広げた激戦地。 応仁の乱時この辺りには日野富子が逃げ…

堀川通『山名宗全邸宅跡』

西陣会館から堀川通を北に、今出川通を越えて少しガソリンスタンドとマンションに挟まれた細い道を西に入り、吹き抜けの有る京町屋「藤田家住宅」を越えた所に、応仁の乱・西軍の総大将「山名宗全邸宅跡」。 通り過ぎた今出川通の鶴屋吉信店頭に高師直邸宅跡…

堀川通『西陣会館・西陣と村雲御所跡 碑』

晴明神社を後に同行者が京都市営地下鉄・鞍馬口駅まで行くと言うので堀川通を北に室町・花の御所辺りを烏丸通りに向かぅ途中、晴明神社から元誓願寺通を挟んだ北隣、堀川通で「西陣会館」。 西は七本松通、東は堀川通、北は今宮神社御旅所、南は一条通または…

一条通『出雲ノ阿国 歌舞伎発祥の地』

一条通りを東に、一条通が中立売通と二股に別れ七本松通と交差する手前 七本松一条の横町に小さな広場があり幾つかのモニュメントが建てられてます。 その中に「出雲ノ阿国・歌舞伎発祥の地」とあり、阿国歌舞伎発祥の地は銅像の建ってる鴨川五条河原と石碑…

周山街道・右京区鳴滝『芭蕉句碑』

「京都十二支パワースポット巡り・三宝寺」の帰り、往路に廻れなかった所に立ち寄り。 梅白し きのふや鶴を 盗まれし 上の句が刻まれた句碑、芭蕉の紀行文「野ざらし紀行」に収められた一句、豪商三井秋風の京都鳴滝別邸に招かれたときの挨拶句で「京に上り…

『開高 健』文学碑

作家・開高健の記念館は開高健が晩年を過ごした神奈川県茅ヶ崎市に、縁の有る各地には記念碑が建立されていますが、幼少期から青年期までを過ごした住吉区北田辺(現・東住吉区)の近鉄南大阪線・北田辺駅前には、文学碑が地域の有志の手で建立されています…

~水の朝鮮人街道~ 『唐人澪』探訪ウオーク

先ごろユネスコ世界記憶遺産に認定された江戸時代の外交資料「朝鮮通信使に関する記録」の中の「~水の朝鮮人街道~ 『唐人澪』探訪ウオーク」。 渡海船を降り乗り込んだ、「唐人澪」とも呼ばれた尻無川を上った約三百石相当の御座船と百隻以上の供船が加わ…

vol.2 岬町から、船で、淡路島へ渡ってみませぬか『洲本城跡』

「潮騒の湯・足湯」で一休みの後「洲本城址」へ。 洲本城は、三熊山上一帯に城郭を有する山城で、戦国時代が終わり平時に成ると山城では不便なため三熊山麓に政庁機能を移転「下の城」と呼ばれ、現在は洲本市立淡路文化資料館などが置かれ一帯は公園整備され…

『木村蒹葭堂邸跡』碑

西区の大阪市立中央図書館南東角に「木村蒹葭堂邸跡」碑。 近年 江戸時代中期の「知の巨人」とも称される、大坂の町人学者として有名な「木村多吉郎(蒹葭堂)」の邸宅の有った場所です。 北堀江瓶橋北詰の造り酒屋の長男として生を受けた木村多吉郎(蒹葭堂…

後藤又兵衛基次之碑

1年間に亘ったNHK大河ドラマ「真田丸」もあと1回を残すのみ、先日は真田信繁が最も頼りにしていた後藤又兵衛基次討ち死の回が放映と成りましたが、その道明寺合戦の舞台となった藤井寺近辺甲冑隊の方々は早くからTVの前に正座、内応を誘う徳川の使者を軽くい…