石碑 記念碑 文学碑 銅像 石像

京都守護職屋敷跡

重要文化財 京都府庁旧本館正庁は、幕末京都に置かれた京都守護職の上屋敷の在った所でも有り、その職責は京都所司代よりも上席とされ京都と大坂の治安維持にあたり会津藩主・松平容保がその任に当たりました。 上屋敷は何回か増改築が施され現在の京都府庁…

高麗橋・里程元標跡

頬に当たる夕暮れの風に冷たさを感じ、橋の袂に落ち葉が吹き溜まり始めた高麗橋、晩秋の日は早く親柱に明りが灯り家路を急がせます。 江戸時代以降1922年現大阪市役所前に移るまで、ここが京街道・中国街道・紀州街道など諸国への道のり車馬賃の基点と成りま…

JR長岡京駅

所用を済ませ大阪へ帰ります。 帰りはJR長岡京駅をくぐって天神通りに出ますが、1931年に開設された当駅は地元新神足町民の受益者負担による誓願で開設された請願駅で、当初「神足駅」と呼ばれ1949年乙訓郡三村の合併で長岡町が誕生し1987年国鉄がJRと成った…

長岡京・天神通り

風の冷たさに思わずコートの襟を立て、踏みしめる落ち葉の音に冬の気配を感じる晩秋の昼下がり、長岡京に来てます。 目的地はJR長岡京駅近くなんですが、JR東海道線で来ると780円掛かり、天六から淡路で阪急京都線に乗り換えると500円で済むので阪急・長岡天…

草に埋もれ看板が倒れた『洗心洞跡』石碑

先日の「大塩平八郎の乱・戦跡巡り」最後のポイント、大塩平八郎の私塾「洗心洞」の存在した辺り、造幣局官舎敷地内に成りますが「洗心洞跡」石碑が草に埋もれ、台風21号の被害か案内板が倒れたままでした。 台風被害は不可抗力も有るかもしれませんが、7割が…

川崎東照宮跡(滝川小学校)

これまで石碑が立ってただけでした滝川小学校正門横の「川崎東照宮跡」碑横の塀格子にアルミ版製の案内板が取り付けられています。 最近、同じようなアルミ版製の史跡案内板が市内あちこちの小学校塀格子に取り付けられてます。 滝川小学校正門。 滝川小学校…

福沢諭吉誕生地

堂島リバーフォーラムまで来たのでとなりのABCホール南東角1万円札の「福沢諭吉誕生地」。 当地 中津藩蔵屋敷で生れ緒方洪庵の適塾に学び、慶応義塾の創始者と成った「福沢諭吉」です。 玉江橋から堂島川。左の港が「福島(ほたるまち)港」、その後ろがABCホ…

熊野かいどう・碑

京阪シティーモールを出て土佐堀通り沿いを西に熊野かいどう碑。 土佐堀通りを挟み正面に「川の駅はちけんや」。

大坂東町奉行所址

先日、初代大坂東町奉行・久貝正俊の菩提寺「正俊寺・久貝因幡守之墓所」を書きましたが、ならば大阪東町奉行所は何処にあったんでしょうか。 大坂町奉行は、江戸幕府が江戸以外の幕府直轄領中重要な場所に置かれた行政職「遠国奉行」の一役で首座は長崎奉行…

織田作之助と富田林・織田作之助記念碑

富田林「じないまち雛めぐり」の途中、じないまち四季物語本部の置かれた本町公園に織田作之助記念碑が建立されてます。 織田作之助と富田林は、昭和20年に長姉夫婦・竹中氏が住まいする富田林に転居、オダサクが昭和21年に喀血後東京の慈恵医大病院に入院、…

烏丸通・藤井右門宅跡

京菓子資料館から烏丸通を南に少し、街中には珍しい大きな石碑が建ってます。 藤井右門さんは江戸中期尊王の思想家、幕府に危険人物とみなされ処刑された尊王論者。 この時期京都では「宝暦事件」「明和事件」と幕府による尊王論者弾圧事件が立て続けに起き…

寺之内通・小川と『百々橋 礎石』

宝鏡寺の南東角 小川通との辻「百々の辻」に応仁の乱の戦跡「百々橋の礎石」が一基保存されてます。 寺之内通に百々橋が架けられ、南北に流れていた小川を挟み百々橋を隔てて東西両軍が幾度か合戦を繰り広げた激戦地。 応仁の乱時この辺りには日野富子が逃げ…

堀川通・山名宗全邸宅跡

西陣会館から堀川通を北に、今出川通を越えて少しガソリンスタンドとマンションに挟まれた細い道を西に入り、吹き抜けの有る京町屋「藤田家住宅」を越えた所に、応仁の乱・西軍の総大将「山名宗全邸宅跡」。 通り過ぎた今出川通の鶴屋吉信店頭に高師直邸宅跡…

堀川通 西陣会館・西陣と村雲御所跡 碑

晴明神社を後に同行者が京都市営地下鉄・鞍馬口駅まで行くと言うので堀川通を北に室町・花の御所辺りを烏丸通りに向かぅ途中、晴明神社から元誓願寺通を挟んだ北隣、堀川通で「西陣会館」。 西は七本松通、東は堀川通、北は今宮神社御旅所、南は一条通または…

一条通・出雲ノ阿国 歌舞伎発祥の地

一条通りを東に、一条通が中立売通と二股に別れ七本松通と交差する手前 七本松一条の横町に小さな広場があり幾つかのモニュメントが建てられてます。 その中に「出雲ノ阿国・歌舞伎発祥の地」とあり、阿国歌舞伎発祥の地は銅像の建ってる鴨川五条河原と石碑…

周山街道・右京区鳴滝『芭蕉句碑』

「京都十二支パワースポット巡り・三宝寺」の帰り、往路に廻れなかった所に立ち寄り。 梅白し きのふや鶴を 盗まれし 上の句が刻まれた句碑、芭蕉の紀行文「野ざらし紀行」に収められた一句、豪商三井秋風の京都鳴滝別邸に招かれたときの挨拶句で「京に上り…

『開高 健』文学碑

作家・開高健の記念館は開高健が晩年を過ごした神奈川県茅ヶ崎市に、縁の有る各地には記念碑が建立されていますが、幼少期から青年期までを過ごした住吉区北田辺(現・東住吉区)の近鉄南大阪線・北田辺駅前には、文学碑が地域の有志の手で建立されています…

~水の朝鮮人街道~ 『唐人澪』探訪ウオーク

先ごろユネスコ世界記憶遺産に認定された江戸時代の外交資料「朝鮮通信使に関する記録」の中の「~水の朝鮮人街道~ 『唐人澪』探訪ウオーク」。 渡海船を降り乗り込んだ、「唐人澪」とも呼ばれた尻無川を上った約三百石相当の御座船と百隻以上の供船が加わ…

vol.2 岬町から、船で、淡路島へ渡ってみませぬか『洲本城跡』

「潮騒の湯・足湯」で一休みの後「洲本城址」へ。 洲本城は、三熊山上一帯に城郭を有する山城で、戦国時代が終わり平時に成ると山城では不便なため三熊山麓に政庁機能を移転「下の城」と呼ばれ、現在は洲本市立淡路文化資料館などが置かれ一帯は公園整備され…

『木村蒹葭堂邸跡』碑

西区の大阪市立中央図書館南東角に「木村蒹葭堂邸跡」碑。 近年 江戸時代中期の「知の巨人」とも称される、大坂の町人学者として有名な「木村多吉郎(蒹葭堂)」の邸宅の有った場所です。 北堀江瓶橋北詰の造り酒屋の長男として生を受けた木村多吉郎(蒹葭堂…

後藤又兵衛基次之碑

1年間に亘ったNHK大河ドラマ「真田丸」もあと1回を残すのみ、先日は真田信繁が最も頼りにしていた後藤又兵衛基次討ち死の回が放映と成りましたが、その道明寺合戦の舞台となった藤井寺近辺甲冑隊の方々は早くからTVの前に正座、内応を誘う徳川の使者を軽くい…

京都三条・駅伝発祥の地

駅伝の歴史ここに始まる 我が国, 最初の駅伝は, 奠都50周年記念大博覧会「東海道駅伝徒歩競走」が大正6(1917)年4月27日, 28日, 29日の3日間にわたり開催された。スタートは, ここ京都・三条大橋,ゴールは, 東京・上野不忍池の博覧会正面玄関であった。 以上碑…

京都三条・高山彦九郎先生

朽ちはてて 身は土となり 墓なくも 心は国を 守らんものを 1928年に建てられた高山彦九郎像、1944年に金属回収令で一旦姿を消しましたが1961年に場所を変えて再建された「高山彦九郎拝礼像」。

三条通り・池田屋

時は幕末 祇園祭の宵山、御所に火を放ち、その混乱に乗じて孝明天皇を長州に奉じる謀議の最中、事前に察知していた新選組が襲撃した池田屋事件、その現場がここ。 長州藩の定宿だった旅籠・池田屋、その後も旅籠として営業を続け1960年ころに取り壊され、現…

宝蔵院胤栄『摩利支天石』

無敵の「奈良・斑鳩1dayチケット」を握りしめ、体力の続く限り奈良を体験するまち歩き。 宝蔵院流槍術の開祖・宝蔵院覚禅房胤栄が猿沢の池に映る三日月を突いて宝蔵院流鎌槍の操法に開眼したことは有名ですが、その宝蔵院胤栄が宝蔵院庭の大石に摩利支天を祀…

古代天野川地方條理区画四条通遺跡・碑

奈良時代前期(七世紀)におこなわれた大化改新令により班田収授法が施行され、交野地方でも天の川沿いに敷かれた条里制の四条通区画遺跡碑です。

大阪・桜ノ宮

大阪桜ノ宮、大川沿い銀橋(桜宮橋)を西に渡った国道沿いに佇む重要文化財「泉布観」と桜之宮「旧桜宮公会堂」。 もう少し西に行くと天神祭りの大阪天満宮です。 若葉に包まれた重要文化財「泉布観」。平成24年3月、ふるさと納税制度を活用し外観補修工事を…

下京区高辻・道元禅師示寂の地

京都市下京区高辻に来たついで、何時もの様に散策。 ここ高辻通にも成徳中学校以外に見所は一杯、下京区高辻通西洞院入この地は曹洞宗の開祖・道元禅師示寂の地。 示寂とは菩薩や高僧が亡くなること入滅とも言い、病に伏した道元は療養のためこの地に在った…

まち遊びワークショップ vol.7 ~清荒神の参道を巡る・帰り道『村野藤吾邸跡』

数々の名建築を残した村野藤吾さん宝塚のお家は今は無く、跡地には別の方が住まわれてるそうで、門柱(裏門?)の一部と表札の様なコンクリート版が跡地の建物の一部として保存されています。 村野藤吾邸の一部。 コンクリート版には1934とローマ字で「TOHGO M…

プリンセストヨトミ・大坂城の抜け穴

豊臣秀頼の嫡男「国松」が、大坂城の抜け穴と思しき洞穴に潜んでいる映画「プリンセス・トヨトミ」の冒頭シーンを覚えていますか? その撮影現場が、滋賀県坂本、日吉大社の帰りに一休みした芙蓉園本館お庭の穴太積み旧白豪院洞穴の一部です。 入口には案内…