富田林「じないまち雛めぐり」の途中、じないまち四季物語本部の置かれた本町公園に織田作之助記念碑が建立されてます。
織田作之助と富田林は、昭和20年に長姉夫婦・竹中氏が住まいする富田林に転居、オダサクが昭和21年に喀血後東京の慈恵医大病院に入院、昭和22年に亡くなる直前まで文筆活動の場としていた処で云わば終焉の地ともいえる土地です。
記念碑には亡くなるの直前まで読売新聞に連載していた小説「土曜夫人」の自筆原稿銘が記され、未完のまま終わったこの作品が絶筆と成りました。
京都を舞台に戦後すぐの風俗が生き生きと描かれ、群雄小説とでも言うのかオダサクらしく映画脚本の様な構成の小説で、京都編が終わりタイトルの「土曜婦人」が登場する東京編が始まった所で中断となり非常に惜しまれた作品です。
隣には与謝野晶子などと共に「新詩社の五才女」と称され白菊の花に譬えられた富田林の歌人・石上露子の歌碑「小板橋」が建立されてますが、織田作記念碑より此方の方が先に建立されていて、石上露子の歌碑は他にも有る様です。
織田作之助と富田林。
富田林の歌人・石上露子の歌碑「小板橋」。