京都

京都中央信用金庫東五条支店(旧村井銀行五条支店)

明治のたばこ王として有名な村井吉兵衛が設立した村井銀行の五条支店として1924年竣工。 設計は村井銀行建築部長をしていて村井銀行の他支店など重厚な古典様式の銀行建築を多く残した吉武長一、煉瓦造石張の2階建で施工は清水組(現・清水建設)。 屋上バラ…

五建ういろ(五建外良屋)

「六波羅蜜寺」で2022年の「京都歳末十二支パワースポット巡り」は予定終了、五条通(国道1号線)にでてお正月用の「五建ういろ」でも買って帰ろうと思って脇道に入ると正面に「五建ういろ」の看板が上がってる京町屋に遭遇。 五条大橋東五条通の「五建うい…

補陀洛山 普門院『六波羅蜜寺』

2022年の「京都歳末十二支パワースポット巡り」最後のパワースポット「補陀洛山・六波羅蜜寺」。 創建年は不明なれど、空也上人自ら刻んだ十一面観音像を御本尊とし951年道場を開き、上人の祈願文により平安時代中期の963年に諸堂の落慶供養を営んだのが当寺…

桂光山『西福寺(敬信院)』

「みなとや 幽霊子育飴本舗」の向かいに「桂光山・西福寺」。 平安時代の859年 - 876年に、空海が自作の土仏地蔵尊を地蔵堂に祀ったのが当寺の始まりとされる浄土宗の寺院、開山は「空海」本尊は「阿弥陀如来」。 関ケ原の戦い後、三条川原で処刑された安国…

幽霊子育て飴(みなとや 幽霊子育飴本舗)

六道珍皇寺から松原通を西にすぐの処に「みなとや 幽霊子育飴本舗」。 埋葬された女性が子供を産んで、近くの飴屋から木の葉の三文銭で水飴を買い育てていて、その女性の亡骸の上で泣いてた子供は寺に預けられて、後に高僧に成ったというお話が元に成った「…

大椿山『六道珍皇寺』

東大路通から松原通を西に、坂道を少し下りた処で「大椿山・六道珍皇寺」。 創建は平安前期の782年~805年、門前から少し西の西福寺辺りまでが平安時代は「鳥辺野」と呼ばれた風葬の地で、仏教でいうあの世とこの世の境目「六道の辻」とされます。 創建当時…

豆八茶屋で親子丼

建仁寺から安井金比羅宮まで無駄に歩き回ったので、足がそろそろ限界近くで東大路通に出た所、高台寺通入口の大きな鳥居そば角の店名も見ずに、ただただ座って休みたいのでカフェへ。 税込み900円で少し高いなと思いながら親子丼を注文、丼物と一緒に出てき…

安井金比羅宮

大和大路通の「かぎ甚」で買い物の後建仁寺を東に抜けて、縁切り縁結びの「安井金比羅宮」に向かいましたが、建仁寺を抜けるのに一苦労の後、「安井金比羅宮」までの細くすぐ曲る道をあっちへ行ったり同じ所を行ったり来たりで、少し遠回りでも八坂通から東…

京都井伊美術館

安井金毘羅宮に向かう手前で「京都井伊美術館」。 戦国時代をテーマにした大河ドラマ、特に「おんな城主 直虎」放映時には良く収蔵品がTV番組などで紹介され、その後の「麒麟がくる」でも明智光秀に所縁のある甲冑や刀剣が収蔵されているので話題に上がって…

京都東山『大和大路通』

京都のまち歩きでは、東西南北に碁盤の様に通ってる通りを可成りの距離歩きますが、今回の「京都歳末十二支パワースポット巡り」では廻るポイントを決めて有るので、長々と通りを歩く予定は有りませんが、京都ゑびす神社から建仁寺に戻る途中「大和大路通」…

御菓子司『かぎ甚』

京都ゑびす神社からに出た処で御菓子司「かぎ甚」。 「かぎ甚(旧店名・鍵甚良房)」は、享保年間(1716年-1736年)に創業した祇園「鍵善良房」から、1921年に番頭さんが独立したお店で、当代で四代目に成るそうで100年を超える京和菓子の老舗でも有ります。…

京都ゑびす神社(恵美須神社)

禅居庵から大和大路通に出て北に向くと鳥居が見えてくる「京都ゑびす神社」、主祭神は今宮戎神社と同じ「八重事代主大神」と「大国主大神」「少彦名神」。 1202年(建仁2年)栄西禅師が建仁寺を建立するにあたり、その鎮守社として創建明治期の神仏分離令で…

建仁寺塔頭『禅居庵(摩利支天堂)』

建仁寺から南西角の「建仁寺塔頭・禅居庵」へ。 鎌倉時代後期(1331年 - 1333年)に、元国からの来朝僧 南禅寺住持であった大鑑清拙正澄禅師の為、信濃守護・小笠原貞宗が創建。 本尊は「聖観音菩薩」ですが、清拙正澄が来朝する際袈裟に包んで持参した自作…

東山『建仁寺』

臨済宗建仁寺派の大本山「建仁寺」。 1202年栄西禅師が建立した京都最初の禅寺、開基は鎌倉幕府二代将軍・源頼家、法堂にお祀りされてる釈迦如来坐像が本尊、方丈には十一面観音菩薩坐像がお祀りされていて、京都五山三位の格式を持ちます。 両足院参拝の後…

京都歳末十二支パワースポット巡り・壬寅『建仁寺塔頭・両足院』

毎年行ってる「京都十二支パワースポット巡り」今年2022年は「壬寅」、「毘沙門天」がお祀りされ「狛寅」が鎮座している「建仁寺塔頭・両足院」に参拝。 寅にちなむパワースポットと言うと、虎は四天王の一将「毘沙門天」の使いなので「毘沙門天」をお祀りさ…

寿福山『仲源寺(目疾地蔵)』

建仁寺に向かう途中、四条通八坂神社参道・祇園商店街の中にある浄土宗の小さなお堂「寿福山・仲源寺」通称「目疾地蔵(めやみ)」。 何時もは帰りに通ることが多くて前を通り過ぎるだけでしたが、この日は朝早く出てきたのでまだ午前9時前、お参りする事に…

紅葉の『赤山禅院』

京都洛北・紅葉の名所「赤山禅院」。 皇城表鬼門・比叡山延暦寺の塔頭、本尊の駒滝不動尊は陰陽道の祖神「泰山府君」を勧請したもので、神道や陰陽道、道教なども集合する不思議な仏教寺院で、京都御所の表鬼門を守護しています。 毎日ご覧になってる僧職の…

修学院離宮

赤山禅院に向かう途中少し遠回りして「修学院離宮」へ。 思った通り一般参観が再開されてて午前中2回目の11時からの参観者受付が始まってました。 責任者らしき女性にお話を聞いたら3ヶ月先まで受付可能で、12月はすべて終了、2月もすでに予約が入ってるそう…

白川通から修学院離宮道

11月も後数日、以前から行って見たかった比叡山延暦寺の塔頭、京都洛北の「赤山禅院」へ、予定より1週間位遅く成りましたが冬が来る前に紅葉見物。 京阪・出町柳駅から叡山電鉄・修学院駅へ、北山通りを東に白川通りに出て北へ音羽川に架かる音羽橋を渡り修…

伏見奉行所跡

指月伏見城跡から西に、国道24号線を超えて京都市営桃陵団地入口に立つ「伏見奉行所跡」碑へ。 伏見奉行とは江戸幕府が直轄地経営のため置いた遠国奉行の内の一役職、伏見の町政・木津川の船舶の取り締まりおよび京都町奉行とともに近江国・丹波国の司法・行…

伏見工兵十六大隊跡・碑

京都市営桃陵団地入口、伏見奉行所跡碑の道を挟んだ向かい「伏見工兵十六大隊跡」碑。 現在は京都市営桃陵団地に成ってる伏見奉行所跡一帯は、鳥羽伏見の戦い後陸軍用地に変わり伏見練兵場が開かれ伏見親兵隊が置かれ、その親兵隊が1871年兵部省直属の親兵隊…

指月伏見城跡

2015年のマンション建設に先立ち行われた調査で判明した豊臣秀吉時代の指月伏見城遺構、調査の後埋め戻され後にはマンションが建設、その一角に堀東側石垣の一部を移築し展示されています。 伏見指月の伏見城と云うと、豊臣秀吉が関白位と政庁としての聚楽第…

京都吉田地図桃山販売所

京阪観月橋駅近くに今は活動を止めてる細密住宅地図で有名な吉田地図の桃山販売所が有ります。 表のウィンドウには、指月伏見城・城下大名屋敷の配置図が展示されていますが時間が有れば一度お話をお聞きして見たいですね。 指月伏見城・城下大名屋敷の配置…

松風山『西運寺(狸寺)』

京阪・観月橋駅から府道7号京都宇治線を東に200m、浄土宗知恩院派のお寺、本尊は阿弥陀如来、石段を上がった御堂には世継地藏菩薩が祀られています。 1596年に雲海大和尚が向島橋詰町に創建、1686年現在地に移転し以後度々住職が変わり一時は荒廃したが1883…

指月山『月橋院』

京阪・観月橋駅から府道7号京都宇治線を少し東に行った道路沿い「泰長老 地蔵堂」の府道を挟んだ向かい。 曹洞宗の禅寺、ご本尊は釈迦如来。 創建・変換の詳細は不明の様ですが、以下京都市の駒札に 当院は指月山月橋院といい後崇光院太上天皇(一三七二年~…

泰長老 地蔵堂

京阪・観月橋駅から府道7号京都宇治線を少し東に行った道路沿い、駐車場の一角にお化粧地蔵尊。 由緒謂れは地元の方に聞いてみないと分からないのですが、京都府宮津市周辺や福井県小浜市など日本海側と青森県津軽地方独特のお化粧地蔵尊、京都市内にも探せ…

喫茶『築地』

「京都東山立春パワースポット巡り」も13000歩近く歩いたので祇園四条駅から帰ろうかと思いましたが、ここまで来たので四条河原町の1934年創業ウインナーコーヒー発祥のお店とも言われる「築地」で、撮ってきた写真でも見ながら一休みと思って鴨川を渡って河…

黄昏の四条通

今年の子年「京都東山立春パワースポット巡り」は、移動に距離が有るのでバス利用が前提なので少し遅めに出ましたが、立春とはいえ陽が落ちるのは早く黄昏の中 夜の帳が降りてきました。 歩道は雨に濡れてませんが、六八コンビの名曲「黄昏のビギン」を口ず…

京都四条『南座』

自分の意志で見るシーンや結末を決めることが出来る移動体験型 “南座版イマーシブシアター”「サクラヒメ」最終日開場時間直前で南座前は大混雑です。 「1階の観客席を全て取りはらい、舞台面と同じ高さにする南座の新機構 “フラット化” を活用し、舞台と客席…

寿福山『仲源寺』

四条通八坂神社参道・祇園商店街の中にある浄土宗の小さなお堂。 開山は平安中期、本尊は地蔵菩薩、当初は四条橋東北に祀られたお地蔵さんで防鴨河使・中原為兼がこの地蔵尊に止雨を祈願したところ雨が止み洪水も収まった事から中原氏の姓に人と水を加え朝廷…