大椿山『六道珍皇寺』

 東大路通から松原通を西に、坂道を少し下りた処で「大椿山・六道珍皇寺」

 創建は平安前期の782年~805年、門前から少し西の西福寺辺りまでが平安時代は「鳥辺野」と呼ばれた風葬の地で、仏教でいうあの世とこの世の境目「六道の辻」とされます。

 創建当時は愛宕寺(おたぎでら)と呼ばれた「六道珍皇寺」の開基は、空海の師慶俊建立説・空海建立説・小野篁建立説・鳥部氏の宝皇寺後身説・山代淡海氏建立説など諸説あり定かでは有りませんが、当初は東寺真言宗に属し鎌倉時代以降の荒廃で建仁寺から聞溪良聰が入山して再興し建仁寺臨済宗に改宗現在に至っています。

 平安時代初期の公卿「小野篁公」との関係は、「小野篁公」が昼間は朝廷、夜間は冥府にて閻魔大王に仕えていたと言う伝承から「小野篁公」が冥府への入り口とした「冥土通いの井戸」が当寺に存在したとされ、2011年には出口ではないかと言われる「黄泉がえりの井戸」が六道珍皇寺に隣接する北側の旧境内で見つかり、京の冬の旅・非公開文化財特別公開時には一般公開されてる様です。

 しかし、現在の様な地面を縦に深く堀下げる井戸の工法「上総掘り」の工法が確立したのは江戸時中期以降で、それ以前の「掘り抜き」ではそれほど深くは無いので「小野篁公」の「冥土通い・黄泉がえり」の伝承の発祥は意外と新しいのかも知れないですね。

 

門前の「六道の辻」の碑。

三界萬霊供養塔。後に本堂。

謡曲「熊野」の一節が刻まれています。

「薬師三尊像」が祀られている本堂。

本堂裏の小野篁公「冥土通いの井戸」が覗けます。

本堂の裏に有る様です。

地蔵堂

大石地蔵尊

迎鐘(鐘楼)。
改修されたのか朱色で奇麗に成ってます。

「閻魔堂・篁堂」、弘法大師小野篁公、閻魔大王が祀られています。

「薬師堂」。
本尊である薬師如来坐像が安置されています。