安井金比羅宮

 大和大路通の「かぎ甚」で買い物の後建仁寺を東に抜けて、縁切り縁結びの「安井金比羅宮」に向かいましたが、建仁寺を抜けるのに一苦労の後、「安井金比羅宮」までの細くすぐ曲る道をあっちへ行ったり同じ所を行ったり来たりで、少し遠回りでも八坂通から東大路通に出た方が良かったと思ったのは後の祭りでした。

 「安井金比羅宮」は、天智天皇の御代に藤原鎌足が一堂を創建し、藤を植え藤寺と号して一族の繁栄を祈った事が始まりとされ、時代は移り藤を愛した崇徳天皇が阿波内侍を住まわし保元の乱に敗れた崇徳上皇が讃岐に流された後、阿波内侍は自筆の御尊影を観音堂にお祀りし、その後大円法師が御堂に籠った際に崇徳上皇がお姿を現わし、その事を聞きつけた後白河法皇が光明院観勝寺を建立したのが当宮の起こりと言われます。

 光明院観勝寺は応仁の乱により荒廃しましたが、1695年に当初の太秦安井(京都市右京区)から当地に移建され、その鎮守として崇徳天皇に加えて、讃岐の金刀比羅宮大物主神と、源頼政公を祀り「安井の金比羅さん」の名で知られ、明治期の廃仏毀釈で光明院観勝寺は廃され「安井神社」と改称し、更に「安井金比羅宮」と改め現在に至っています。

 御祭神は「源頼政公」「崇徳天皇」「大物主神」の三神がお祀りされています。

 細い道を迷った後、北の鳥居より境内に向かいますが拝殿前には長い行列が・・、年末なのにお詣りされる行列かと思い驚きましたが、若いアベックばかりの行列で「縁切り縁結び碑」を潜る順番待ちで、行き戻り潜って碑に願いを書いた「形代」を貼るので時間がかかる様です。

 この後は食事をして、八坂通を西に戻って「六道珍皇寺」と「六波羅蜜寺」を巡って京阪・清水四条駅から帰ります。

 

やっと北の鳥居が見えて来ました。

末社の三玉稲荷社の鳥居から境内へ。

安井天満宮

厳嶋社、三玉稲荷社、三社の御社。

拝殿から奥の本殿。

 形代に願いを書き、形代を持って願い事を念じながら裏へ潜り表へ潜って形代を形代を碑に貼ります。

 一人の女性が潜ってますが、この方は縁切りでしょうか縁結びでしょうか?

縁切り縁結び碑。

金比羅会館。

南の鳥居。

道幅の広い東大路通りに面した東鳥居。