所用を済ませ大阪へ帰ります。
帰りはJR長岡京駅をくぐって天神通りに出ますが、1931年に開設された当駅は地元新神足町民の受益者負担による誓願で開設された請願駅で、当初「神足駅」と呼ばれ1949年乙訓郡三村の合併で長岡町が誕生し1987年国鉄がJRと成ったのちも1995年まで「神足駅」であり続けましたが、その間 長岡町は1972年市政施行で長岡京市と成り駅名も1995年に「長岡京駅」に変更現在に至っています。
長岡町市制施行時には、長岡市が既に存在していたため古代の都城である「長岡京」を市の名称として復活させ使用。
太平洋戦争終戦間際1945年7月19日 の米軍艦載機機銃掃射では、駅前の日本輸送機女子工員1名が死亡、付近で農作業等の5名が重軽傷を負った神足空襲の平和記念碑が駅南に建立されてもいる駅でも有ります。
小畑川沿い、正面の大きなビルは村田製作所、その辺りがJR長岡京駅。
JR長岡京駅東。
JR長岡京駅東口。
「ヨ8000型緩急車」が1両展示されています。
被弾棍のある日本輸送機の煙突を五分一の大きさに復元。
西口への連絡通路の階段を下ります。
保存されてる「ヨ8000型緩急車」の屋根が見えます。
竹を模した立体タイルが張られた通路。
神足遺跡からは発掘後、修復された縄文土器が展示されています。
JR長岡京駅西口。
ご挨拶碑なども有り駅としてはこちらが正面。
再開発されたJR長岡京駅西口。