先ごろユネスコ世界記憶遺産に認定された江戸時代の外交資料「朝鮮通信使に関する記録」の中の「~水の朝鮮人街道~ 『唐人澪』探訪ウオーク」。
渡海船を降り乗り込んだ、「唐人澪」とも呼ばれた尻無川を上った約三百石相当の御座船と百隻以上の供船が加わった大船団の「朝鮮通信使」、正式には「朝鮮聘礼使」。
その「水の朝鮮人街道」尻無川跡をJR大正駅から地下鉄阿波座駅まで「朝鮮通信使川御座船を考える会」主催の探訪ウォークです。
午前中のイタセンネットを早めに抜けてJR大正駅。
大正橋公園。
NHK・TVが取材に来てて夕方のローカルニュースで放映されるそうで、この後最後まで同行しました。
大正橋公園にある「木津川口遠見番所跡」脾。
通信使はこの辺りで渡海船を降り川船の御座船に乗り換えます。
木津川。
鉄橋下の道路が埋め立てられた尻無川川筋で、鉄橋の向こうの木津川との合流点。
尻無川川筋跡。
残されてる旧入船橋橋柱。
入船橋から合流点。
大阪ドームから木津川。
天神橋の大阪天満宮御旅所。
船渡御が木津川から尻無川に入りここに付いたんでしょうね。
九条新道商店街の北の外れ、すぐ近くに松島遊郭。
茨住吉神社。
ご神木の大楠木は戦災で焼失してます。
松島料理組合。
竹林寺到着。
通信使の宿舎として使われたお寺で、病没した通信使の一員・金 漢重の墓碑が祀られています。
竹林寺の御住職からご案内。
金 漢重の墓碑と供養塔。
「今春倭国客、去年朝中人、浮世何会定、可帰古地春」と辞世が刻まれています。
色付きだした街を松島公園に。
松島公園「九条島と朝鮮通信使」碑。
松島公園の松島橋親柱。
松島橋を渡り今年整備された木津川遊歩空間「トコトコダンダン」へ。
大渉橋。
左のマンション辺りに大坂冬の陣「博労渕砦」が有ったと推定されています。
旧尻無川川筋。
旧川口居留地跡。
最初のスポット大正橋公園「木津川口遠見番所」の上部役所「大坂船手会所」跡脾。
ここから少し、地下鉄阿波座駅近くで解散に成りました。