土佐堀通りの『前島 密』

 土佐堀通日本郵便大阪支店前の郵便制度の父と呼ばれる「前島 密」像。 幕臣ながら明治政府に招聘され民部省・大蔵省に出仕、太政官に郵便制度創設を建議、日本の近代郵便制度創設に深く係り「郵便」や「切手」「葉書」などの用語は彼が制定したと言われます。

 しかし前島自身が郵政制度に係わったのは1870年から1879年までの9年間で、駅逓総監就任時に大隈重信らが明治政府中枢から追放された「明治十四年の政変」に連座し野に下り、その後4年間ほど内務省駅逓総監に任じられ官僚に戻りますが、それ以外は何社かの鉄道事業の経営などに参加してます。

 前島 密さんと云うと、肖像が1947年発行1円切手の図案に成っていて、2015年発行の現行1円切手迄幾度かデザインが変わってますが基本的には同じ晩年の肖像が使われてる様で、面白いのは最初に発行された1947年版には役職名が36才で拝命した駅逓頭にされていて、最終的には駅逓総監まで昇進してるので晩年の肖像と役職名が合わないのはなんか不思議です。

 

前島密之像。f:id:jotoyumekoi:20200801001111j:plain

日本郵便株式会社近畿支社。f:id:jotoyumekoi:20200801001132j:plain

 日本郵便大阪支店西の石碑。
 裏に「明治天皇聖躅」と有り本来はそちらが表だと思いますが、建て替え時にこう成ったんだと思いますがその辺りはと有る組合の影響力かな。
 「紀州邸址」と彫られていて一部蔵屋敷と混同されてますが、紀州藩蔵屋敷は西区南堀江に少し西の千代崎に紀州藩船入と共に存在していてここは「紀州藩邸」です。

紀州邸址。f:id:jotoyumekoi:20200801001121j:plain