大坂東町奉行所址

 先日、初代大坂東町奉行・久貝正俊の菩提寺「正俊寺・久貝因幡守之墓所」を書きましたが、ならば大阪東町奉行所は何処にあったんでしょうか。

 大坂町奉行は、江戸幕府が江戸以外の幕府直轄領中重要な場所に置かれた行政職「遠国奉行」の一役で首座は長崎奉行

 大坂城京橋口に東西町奉行所が置かれ、1724年(享保9年)の大火で全焼後、西町奉行所は本町橋東詰に移されたが東町奉行所は京橋口に再建、ここの元与力であり陽明学者でもある大塩平八郎が1837年(天保8年)に起こしたのが大塩の乱、明治維新後は明治政府

の外国事務局が置かれ数々の外交的難局を乗り切ってます。

 大坂東町奉行所址碑は、現在の大阪合同庁舎1号館の南面道路沿いに建立されてます。

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正面に見えるのが大阪城乾櫓、右は府立大手前高校。f:id:jotoyumekoi:20200201222744j:plain

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