『大坂西町奉行所址』碑

 本町橋の「マイドームおおさか」前の「西町奉行所址」碑。

 大坂町奉行所は、江戸時代幕府直轄領のうち重要な場所に置かた行政機関「遠国奉行所」の一つ、江戸町奉行所・京都町奉行所と同じく2か所置かれ月交代の輪番制で役割を担ってました。

 大坂町奉行所は当初現在の大阪城西の大手前合同庁舎の位置に隣り合って置かれていましたが、1724年(享保9年)の大火、俗に言う「妙知焼け」にて双方合わせて焼け落ちた不都合さから西町奉行所は本町橋東詰の米蔵跡(石碑の場所)に移動再建されています。

 明治以降大坂町奉行所が廃止された後跡地には大阪府庁が置かれ、府庁が江之子島へ移った後の跡地は大阪博物場(動物園・美術館・図書館)で賑わったと伝えられますが、大坂西町奉行所の詳細については記録も余り残っておらず不明な点も多かったのですが、最近の発掘調査で少しづつ全体の規模など判明しつつあるそうです。

 石碑隣の石版には「大坂城惣構跡」「西町奉行所跡」「大阪府庁跡(初代)」と彫られてますが、本文は判別出来ません。

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