池田屋事変殉難志士墓所跡碑

 最近では大阪市でも歴史的出来事を記念する石碑やプレートが目立つ様に成って来ましたが、そこら中に記念碑の建ってる京都ではまだ足りないらしく新しい記念碑が置かれ続けられて居て、ここは2009年に建立された「池田屋事変殉難志士墓所跡碑」、「京都立春パワースポット巡り」のバス待ち時間に見学。

 池田屋事件で遭難したのは熊本藩宮部鼎蔵 松田重助、長州藩吉田稔麿 杉山松助 廣岡浪秀、土佐藩北添佶摩 石川潤次郎 望月亀弥太、林田藩の大高又次郎の9名だったとも言いますが、その後明治新政府によって宮部 松田 吉田 杉山 北添 石川 大高の7名は「殉難七士」に列せられています。

 それら殉難者は、三条大橋東の浄土宗法輪山三縁寺に運ばれて葬られ墓石なども建立されていたのですが、1979年に京阪三条駅前開発にともない三縁寺は左京区岩倉花園町に「殉難七士」の墓石共々移転し、移転に際し石碑建立の契約が三縁寺と京阪電鉄とで結ばれたそうですが、京阪の開発計画が二転三転場所が決まらず30年の時を経て漸く実現と成りますが、京阪三条駅開発が2020年度中に開始されるそうで今度来るときには場所が変わって居そうですね。

 石碑の場所は、高山彦九郎先生銅像三条通を少し東に行った処を南に折れた道路沿いに建ってます。

 

高山彦九郎先生銅像横を東に。f:id:jotoyumekoi:20200204123611j:plain

池田屋事変殉難志士墓所跡碑。f:id:jotoyumekoi:20200206184325j:plain

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石碑裏に三縁寺の移転場所が記されてます。f:id:jotoyumekoi:20200206184339j:plain

 三縁寺の建っていた辺りで、一帯は2020年度から再開発が開始され複合施設などが計画されてる様です。

左の小さな白い石碑が「池田屋事変殉難志士墓所跡碑」。f:id:jotoyumekoi:20200206184352j:plain