愈々遠くには行けなく成って来たので、コーヒー豆を補充しに行ったついでに近くの「鵺塚」。
「鵺」とは、平家物語だったかに都を悩ます 頭はサル、胴体はタヌキ、四肢はトラ、尾はヘビの怪鳥で、怯えた近衛天皇の勅命により源頼政に射落とされ死骸は「うつぼ舟」に乗せられて川に流されたと有り、大阪の名所を綴った「蘆分船」ではその塚が今の都島区役所辺り滓上江村の母恩寺のそばにあり、「摂津名所図会」では流れ着いた鵺の死骸を埋めて塚を立てたと記されていて、兵庫県の芦屋浜にも同じ言い伝えが伝わっていてそちらにも「鵺塚」が建てられています。
射落とされた京都では二条城の北にある二条公園の一角に「鵺」を祀る鵺大明神の祠が建っていて、京都には伏見区深草にも鵺塚が存在し、清水三年坂の傍らにも有ったそうで、此方は流された川が鴨川との解釈ですかね。
大阪港のエンブレムにも採用されたりしていて、由緒謂れを書くと結構メジャー級の旧跡なんですが意外と知られて無くて、私も近くの事も有って横目で見て前を通る事は有ってもじっくり見たのは10年ぶり位なんですが、変わらず地元の方に大切にお祀りされています。
鵺塚。
京都なんかでは駒札ですが、大阪は分かり易い案内板です。
正面奥が鵺塚なんでしょうね。
一番上の石には「鵺塚」と刻まれていて、明治の初め大阪府により改修され、「蘆分船」に記されてる母恩寺からは少し離れてるのでその時この地に移された様です。
大阪港のエンブレム。
祠は、1957年地元の人々により改修され現在に至ってます。