近年 江戸時代中期の「知の巨人」とも称される、大坂の町人学者として有名な「木村多吉郎(蒹葭堂)」の邸宅の有った場所です。
北堀江瓶橋北詰の造り酒屋の長男として生を受けた木村多吉郎(蒹葭堂)は、オランダ語・ラテン語を解しその知識欲は本草学・文学・物産学など書画骨董・鉱物動植物標本の収集にまで及び正に「知の巨人」と呼ぶに相応しく、死後その膨大な蔵書の大部分は幕府の名により江戸・昌平坂学問所に収められ、その後幾多の変遷を経て現在は内閣文庫に引き継がれたそうですが一部散逸が確認されてるのは残念なことです。
現在の石碑は、以前の石碑が戦災で失われた後、1960年大阪市により再建された石碑です。