大阪あそ歩 「鴫野・放出」~失われた八劔伝説を求めて~
ガイド、サポーター合わせて18名の参加者です。
「河内湾」「河内潟」「河内湖」へと、時代とともに姿を変えてきた鴫野・放出。
大雨や台風のたびに川の氾濫や浸水に悩まされて来た土地ですが、上町台地の東側にあって、古代からさまざまな人々が行き交った土地でもありました。
草薙(くさなぎ)の剣を盗んだ新羅僧・道行や、菅公が腰掛けた石、弘法大師手作りの仏像、秀吉の鎮護社、大坂冬の陣の激戦地などなど…。
いまは消えてしまった河内湖と、失われた数々の物語の舞台を、訪ね歩いていきましょう。
(大阪あそ歩HP)
以上の思わせぶりなチャッチコピーと、タイトルの「消えた河内湖を追え!」から古代史巡りのコースの様に思われがちですが、内容は何時通りの「大阪あそ歩」で、残された史跡を織り交ぜながら生活感あふれる「鴫野・放出」を楽しく巡ります。
JR鴫野駅集合、ガイドさんのコース説明など。
JR鴫野駅前「スーパーこのみや」。
元大関「朝潮」、現7代「高砂」親方夫人の実家が経営されています。
「このみや」南側の鴫野南商店街から次に向かいます。
真ん中下の四角いタイルは大阪市歴史道の標識。
大坂冬の陣「今福・鴫野」古戦場碑。
小学校敷地内で、柵の外からの見学に成ります。
真言宗のお寺で当山の縁起は、弘法大師が当地を訪れた折、難産に女性が苦しんでおり、一刀三礼で自ら子安大日如来を刻み安置したのを創建とするそうです。
また、鎌倉時代のものではないかといわれる相当古い宝篋印搭が残っている事でも有名で、「摂津国八十八ヶ所霊場」第13番目の札所です。
本堂。
本日は、ご住職のご厚意でご本尊の「子安大日如来」が拝観できます。
サブタイトルの「失われた八劔伝説を求めて」とも関係が深い八釼神社。
「はちけん神社」などと言いますが、正式には 「やつるぎ神社」 と呼びます。
拝殿。本社祭神は 「八劔大明神」 「武速須佐雄大神」 「神罔象女大神」。
鴫野・天王田の古い町並み。
1913年に、上記「八劔神社」に合祀されましたが、1980年に地元の天王田地区の人々の強い懇願と協力により元の場所に再建されました。
神社名称通り、京都・八坂神社の分社で素戔鳴尊(すさのおのみこと)をお祀りしています。
城東区はWWⅡ戦災をそれ程受けなかったために、今でも沢山の地車が地域で保存されています。
八坂神社裏のお稲荷さん。
大阪府の施設で、洪水時、水門の開閉、取水排水で水位の調節機能を荷っています。
平野川分水路排水機場から放出下水処理場・屋上庭園に向かいます。
エレベーターから屋上に上がります。
エレベータ最上階から、陸橋で屋上庭園です。
市民農園。
放出下水処理場は1967年に大阪市で8番目の下水処理場として整備され、1999年に南側道路に面する位置に約700㎡の「放出せせらぎの里」を整備し、2005年に上部利用が可能な約14.000㎡について上部空間を近隣住民から要望のあった「市民農園」と、せせらぎや芝生広場を有する「屋上庭園」として整備したものです。
市民農園の新規申込は厳しい競争率ですが、最近廃止の話が持ち上がり現在協議中の様です。
屋上庭園「放出せせらぎの里」。
エントランスで小休止。ガイドさん提供の和菓子を頂きます。
連絡陸橋から。大阪城が望めます。
永田から諏訪に向かいます。
途中内環状線道路陸橋下で菅原道真公ゆかりの「左遷道・左専道」のお話。
陸橋を通り過ぎ、諏訪へ。
諏訪の「大銀杏」。大阪市指定(1968年)の保存樹。
諏訪の古い町並み。
諏訪の古民家。度々洪水に見舞われた為、石積みで床を高くして有りす。
左専堂不動寺前の民家、元は散髪屋さんの様です。
後方の高層ビル群、現在の城東区を象徴しています。
不動寺横、左専道小学碑。
明治の初め、沢山の小学校が地元民の手で設立運営されていました。
本尊は不動明王、生玉神社のあたりにあった不動堂を移築されたとされ、往時には、大阪四不動霊場の内の「大阪東方不動尊」と云われ、参拝者の列も途絶える事が無く大変賑わったそうですが、明治の廃仏毀釈の影響で往時の面影は見られ無く成っています。
江戸は「恐れ入谷の鬼子母神」、大坂では「そうはさせん堂の不動さん」の不動尊です。
詣内でガイドさんの解説。往時は広大な詣内だった様ですが、私有地が入り組んでいて複雑な詣内です。
不動明王が祀られた、本堂。
裏の鳥居から詣内に入ります。
拝殿。
全国に5千ある諏訪大社の分社の一つです。
境内に現存する古い石灯籠に『承和3年(836)4月寄進』と刻まれて居り、城東区では一番歴史の在る神社の様です。
菅原道真が、大宰府に流される折に立ち寄った事でも知られています。
諏訪神社名物、クルップ砲。函館戦争の折に艦砲として使用されたそうです。
諏訪神社から「中高野街道」を阿遅速雄神社に向かいます。
路上の四角いタイルは大阪市歴史街道の目印。
長瀬川
長瀬川は、大阪府柏原市・上市で大和川から分かれ柏原市内を北流、八尾市、東大阪市を経てこの地で第二寝屋川に注ぎます。
という事で、付け替えられて堺市から大阪湾に注ぐ様に成った「大和川」付け替え前の川筋で、まさに「古大和川」その物です。
本コース・タイトルの「消えた河内湖を追え」の古代・河内湖がこの辺りに成りますが、終了時間間際の事で、先を急ぎます。
1969年に開削された「第二寝屋川」。
神門と御神木脇でガイドさんの解説。正面が鳥居では無く神門です。
お陰灯篭。
拝殿。神門を入った所に鳥居、奥に拝殿。
本コースのサブタイトル「失われた八劔伝説を求めて」の舞台に成ります。
熱田神宮から盗難にあった草薙御剣を百済船から奪還し、当社に御剣を安置したという伝説と草薙御剣を百済船から放り出した事が、この地の地名「放出(はなてん)」の謂われと言われています。
大阪市指定文化財(2005年)・阿遅速雄神社社号標石の案内板。
江戸時代中期の学者「並河誠所」が、当神社は延喜式に記された式内社・阿遅速雄神社で在るとの考えを記した社号標石。
平安時代に表わされた延喜式・式内社も、江戸中期に成るとかなり混乱していた様で、並河誠所が調べ特定し直したもので、20基の石碑が有り大阪市にはそのうち4基が有ります。
最後にガイドさんから新淀川開削の大恩人、地元、放出・榎本の大橋房太郎さんのお話で本コースは終了です。
まち歩き名物・猫「放出猫」。