史跡ハイキング・まぼろしの港、長柄船瀬を探る『高瀬神社』

 鴻池新田会所主催の史跡ハイキング、大枝公園から「高瀬神社」。

 主祭神は日本神話では最初の神とされる「天之御中主神」、辺りは古来より交通の要所で淀川舟運の拠点であり、幾度か戦火に見舞われその都度再建を繰り返し現代の小さな社殿に成りましたが、往時には神殿その他すべて備わった大社で八幡宮とも呼ばれ、境内に残された数本の大楠木にその片鱗が伺えます。

 延喜式内社として延喜式に記載が有る事から10世紀以前に遡る古社で有る事には違いありませんが、当社の祭神「天之御中主神」の名称から中世では北極星と結びつき妙見信仰と一体化して祀られる例が有り、当社もそうかなと思わせますがその記録や形跡は無いそうで、付近は河内湖が徐々に堆積し形成された地で縄文時代から続く遺跡も近くには存在し想像以上に古くから祀られてた古社ではと思われます。

 地名の由来は、古来この辺りを淀川の古名とも言う高瀬川が流れ、淀川と合流した大和川から流れ込む土砂で浅瀬が広がり高瀬と言う地名に成ったと云う事で、「播磨国風土記」に、景行天皇が印南別嬢を追いかけ「高瀬の済」で渡河しようとした際川の運航を司っていた紀氏の渡守に「私はあなたの家来でない」と渡船を拒否される事柄の記載が有り、当時の天皇家は紀氏と同列の一王家に過ぎず、正木先生の古田史学会で繰り返し主張される地方王権の鼎立を証明する一事例でも有ります。

 また平安初期の当地付近は、幾筋かの川が交差し風光明媚な土地だったらしく「高瀬の里」や「高瀬の淀」など歌枕の地として知られ「枕草子」にも語られています。

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拝殿。
江戸中期の再建だそうで流造かな。f:id:jotoyumekoi:20191003121749j:plain

砲弾が奉納されていて、参加者には結構珍しがられてましたが大阪砲兵工廠の協力工場が多数存在した北河内の神社では多数見られます。
隣の歌碑には古来から歌に詠みこまれた「高瀬」の歌碑だと思いますが読み取れず。
境内にはもう一基「高瀬の里」を読み込んだ「衣笠内大臣」の歌碑が有ります。f:id:jotoyumekoi:20191003121801j:plain

境内の大楠木、樹齢300年。f:id:jotoyumekoi:20191003121812j:plain

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摂社の「楠木稲荷神社」。f:id:jotoyumekoi:20191003121842j:plain

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