厳島神社(淡路島弁財天)から少し歩いて「国瑞彦 護国神社」と「洲本八幡神社」。
「国瑞彦 護国神社」は、1870年の庚午事変(稲田騒動)の後始末として、徳島県名東群の藩祖・蜂須賀家政公を祀る国瑞彦神社より御分霊を勧請、1877年洲本八幡神社旧別当寺龍宝院跡に設立された神社で、その後境内整備1879年まで行い本殿拝殿が建築されました。
その後、1919年新たに最後の徳島藩主・蜂須賀茂昭公を祭神として迎え現在に至っています。
徳島藩士が隊列を組んで無抵抗の稲田家臣を襲撃した庚午事変の後始末に、わざわざ藩祖を祀る国瑞彦神社の分霊を持ってくるなんて、母方の祖が稲田家に関係する者として何となく複雑な心境に成りますが、戦後地元の要望で太平洋戦争時の戦死者を祀る招魂社が置かれたのは、蜂須賀家への忠誠心よりも稲田家も含めた地元愛を私は感じます。
国瑞彦 護国神社・幣殿。
国瑞彦 護国神社・本殿。
洲本八幡神社境内の灯篭。
洲本八幡神社拝殿。
創立年不詳なれど、1000年以上の社歴が存在する古社だそうです。