石碑 記念碑 文学碑 銅像 石像

つるのはし跡

日本書紀に「猪甘津に橋を渡し小橋と号す」との記載が有り「つるのはし」はその古跡とされ、記録に残る日本の橋としては日本最古の橋です。 周辺の河川は長年の河川改修で川の位置や地形など大きく変化してますが、此処に流れていた頃の平野川(旧大和川)に…

古代史教室見学会・豊中の桜塚古墳群を歩く!『岡町商店街』

羽曳野市「NPO法人 フィールドミュージアムトーク史遊会」の古代史教室見学会、阪急岡町駅西の大石塚小石塚古墳を見学した後、駅東側の古墳群を巡りに阪急宝塚線を越え岡町商店街を抜ける途中で周辺を散策。 阪急宝塚線を越え岡町商店街を抜けて東に向かいま…

《かつての淀川澪筋と旧跡を探る》淀川右岸(東淀川区中・東部)歴史散歩

「《かつての淀川澪筋と旧跡を探る》淀川右岸(東淀川区中・東部)歴史散歩」国交省・淀川管内河川レンジャー 崎谷さんのまち歩きです。 崎谷さんから今回の趣旨説明。 この度の散策は今日の都市的発展の陰で、幾多淀川・氾濫の試練をなめ起状盛衰があった事実…

鴫野古戦場碑

JR鴫野駅近くの大阪市立城東小学校校門内にある、大坂冬の陣「鴫野合戦」跡の記念碑。 校門の内側小学校敷地内に在り余り目立ちませんが、近くの八剱神社には大坂冬の陣当時「上杉景勝」が本陣を置いたと伝わっています。 鴫野古戦場碑。 大阪市立城東小学校…

安居神社(安居天満宮)

天王寺七坂の南から2番め「天神坂」に面した「安居神社(安居天満宮)」。 詳しい創建年などは不明ですが、少彦名神が祭られ942年菅原道真公が大宰府に流される折、風待ちで立ち寄り一休みしたことからから「安居」の名が付き「菅原道真公」が祭られるように…

慶立山 萬福寺・新選組『大坂旅宿跡』

天王寺区下寺町の松屋町筋沿い慶立山「萬福寺」、1594年 前田利家の弟、前田利信が開創した西山浄土宗光明寺派の寺院、幕末に新選組の大坂屯所が4年間置かれた寺院でも有ります。 新選組を配下に収める京都守護職は京都だけでなく大坂の治安維持の任も負って…

KANSAIウオーク2013・大阪市内エリア『蓮如上人袈裟懸けの松』

産経新聞社主催「KANSAIウオーク2013・大阪市内エリア」で、大阪城二の丸 内堀のそばに「蓮如上人袈裟懸けの松」。 豊臣秀吉が大坂城を築城する前「大坂本願寺」が存在し、その当主 蓮如上人の袈裟賭け松が有った所だそうで、現在は切株が有るだけですが、徳…

KANSAIウオーク2013・大阪市内エリア『越中井』

産経新聞社主催「KANSAIウオーク2013・大阪市内エリア」で「越中井」。 関ヶ原の戦いの折り、細川忠興の正室であった明智光秀の三女「ガラシャ(玉子)」はこの地に幽閉されており人質にされようとした折り近習を逃した後キリシタンのため自害が許されず家老…

『坂本龍馬 避難の材木小屋跡』碑

京都伏見・濠川に架かる大手橋のたもと坂本龍馬襲撃事件「寺田屋事件」で襲撃された坂本龍馬が逃げ込んだ材木小屋の有った所です。 以下長くなりますが、石碑に添えられた碑文の全文です。 慶応2(1866)年1月24日未明、薩長同盟を締結した坂本龍馬が、長州藩…

大阪国技館跡 碑

江戸時代から明治期に掛けては江戸相撲と並び大阪相撲の最盛期で有って、1919年9月に東京両国の国技館に対抗して大阪市浪速区の新世界・ルナパーク南側に鉄筋コンクリート・煉瓦造、建築面積約2000平方メートル、ドーム式の大阪国技館が建設され大阪相撲協会…

玉造名所『二軒茶屋・石橋 』旧跡

JR環状線玉造駅から長堀通を東へ50m位行った道路沿い「玉造名所『二軒茶屋・石橋 』旧跡」碑。 ここが明治中期まで「暗越奈良街道」の起点、「つるや」「ますや」という二軒の茶屋が有った事から「二軒茶屋」と呼ばれ、そばに流れていた猫間川に1711年幕府の…

『青湾の碑』 顕彰献茶式

「青湾の碑」顕彰献茶式です。 「煎茶の祖・茶神」と呼ばれる柴山元昭没後250周年、売茶翁100回忌の1862年「青湾の碑」が建てられた折に開催された、来客1200人という煎茶史に残る大茶会「青湾茶会」の150周年を記念し、毛馬桜之宮公園内「…

淀川連絡線跡遊歩道・碑

かって吹田駅・京橋駅・放出駅から淀川駅までを結んいで1982年に廃線になった淀川貨物線(正式名称は城東貨物北線淀川貨物連絡線、片町線貨物支線の一部で総称としての城東貨物線のうちの一つ)の京街道(京橋商店街)との交差点部分が遊歩道として整備され…

まち歩きツアー企画下見会・夕陽ケ丘『藤原家隆卿の塚』『伊達家・陸奥家・墓所跡』『小松帯刀墓所跡』

「愛染堂 勝鬘院」から少し北に行くと、この辺りの地名「夕陽ケ丘」の由来とされる「藤原家隆卿の塚」と「伊達家・陸奥家・墓所跡」「小松帯刀墓所跡」がほぼ一カ所に存在します。 新古今和歌集の選者の1人として知られ、自らの死期を悟った家隆は、日想観…

まち歩きツアー企画下見会・谷町筋『元祖竹本義太夫誕生地』碑

ツアー企画下見の途中、JR天王寺駅から谷町筋を少し北に天王寺公園の東、谷町筋沿い歩道に「元祖竹本義太夫誕生地」石碑が建ってます。 江戸時代の浄瑠璃語り、義太夫節浄瑠璃の創始者・竹本義太夫さんは1651年 摂津国天王寺村の農家に生まれると有るので当…

『藤井竹外邸址』碑

竹と酒をこよなく愛し、1807年(文化4年)高槻藩士・藤井沢右衛門家に生まれ鉄砲奉行としてお城に勤めた幕末の漢詩人・藤井竹山。 詩は頼山陽に学び山陽亡き後は梁川星巌に師事、七言絶句を得意とする事から「絶句竹外」と称され代表作に吉野山の桜と南朝へ…

『安倍晴明 白狐伝説祭』~天才陰陽師のルーツをたずねて~

「安倍晴明 白狐伝説祭」~天才陰陽師のルーツをたずねて~ と云うスタンプラリーが開催されると云う事で、コンシェルジュチーム大西さんから提案が有り、あべの・天王寺を巡る「あべてんまちあるき」に、近鉄百貨店コミュスペース・ボランティア有志で参加…

相国寺から同志社大学へ『藤井右門宅跡』

相国寺から同志社大学 の途中、烏丸通の「藤井右門宅跡」。 相国寺からの続きで、烏丸通から室町キャンパス・寒梅館、今出川キャンパス、冷泉家邸宅を巡りますが、足が上がらなく成って来ました。 烏丸通 寒梅館の北に、尊王論者の儒学者・藤井右門宅跡。 越…

大坂夏の陣400年祭プレイベント・道明寺合戦 古戦場巡り『後藤又兵衛基次之碑』

「道明寺合戦 古戦場巡り」玉手山公園で、道明寺合戦・小松山(玉手山)の戦いの折乱戦の中で討死したとされる「後藤又兵衛基次之碑」。 後藤又兵衛基次は、播磨国姫路の神東郡山田村で生を受け黒田孝高に仕えたのち二代目の黒田長政と不仲になり出奔、浪人…

大坂夏の陣400年祭プレイベント・道明寺合戦 古戦場巡り『小林一茶句碑』

「道明寺合戦 古戦場巡り」玉手山公園で「小林一茶の句碑」。 小林一茶は、1792年から同10年までの約6年間、西国、上方方面を旅行の途中1795年、明石から大坂に入り、天王寺、平野を通って、4月3日に葛井寺と道明寺に詣でた後、当時すでに景勝地として有名だ…

大坂夏の陣400年祭プレイベント・道明寺合戦 古戦場巡り『柏原市立玉手山公園』

「大坂夏の陣400年祭プレイベント・道明寺合戦 古戦場巡り」の途中で「柏原市立玉手山公園・ふれあいパーク」。 前身は1908年 河南鉄道(現・近鉄南大阪線)により開設された西日本で最も古い遊園地「近鉄玉手山遊園地」。 1998年に遊園地は閉園されますが、…

紀州街道『大和橋親柱之碑』

付け替えられた大和川を紀州街道が渡る為に新大和川に架けられた「大和橋」の保存されてる親柱。 紀州街道の大和橋は、大和川開削で1704年 新大和川に架けられた公儀橋、当初は木橋で有ったため幾度か流され、大阪府は1916年に鉄橋に架け換えその後1939年・1…

紀州街道『霰松原(あられまつばら)』

紀州街道沿い住之江区安立の「霰松原」。 この辺りは、江戸時代中期まで海岸線で、古くは万葉集にも歌われた白砂青松の名勝地、松風が霰を吹きつける様に風が響いたとか、松が粗く疎らに生える松原として「あらら松原」の語が有りそれが転じたのが地名の起こ…

兵庫県福崎町・調査見学会

所属社団法人の兵庫県福崎町「大庄屋・三木家邸」修復現場調査見学と「柳田國男・生家」見学をメインに福崎町辻川地区の散策です。 8月11日の、所属社団法人主催「第5回まちづくり講座」で、神戸大・山崎先生の柳田國男の生地、兵庫県福崎町辻川での旧家「三…

与謝蕪村の句碑

淀川左岸毛馬の堤防上に「与謝蕪村」の句碑が建立されてます。 与謝蕪村生誕の地「毛馬村」は、1897年から始まった淀川河川改修工事で大半が川底に沈み同地に存在した小さな句碑は移転されましたが、1974年からの淀川改修百周年記念事業の一つとして同じ句を…

大阪城公園 帰り道

「森之宮遺跡展示室」一般公開の帰り、「森之宮」に立ち寄り噴水前から大阪城弓道場横に出て太陽の広場を横切り大阪社会運動顕彰塔を横目に木陰を求めて帰ります。 大阪城公園。噴水から大阪城天守閣。 木陰を求めて、大阪城公園内を北に帰る事にします。 大…

森之宮

「森之宮遺跡展示室」一般公開の帰り、知る人ぞ知る由緒正しき古社「森之宮」に立ち寄ることにします。 森之宮は正式な社名を「鵲森宮」と云い、589年7月、聖徳太子が物部守屋との戦いに勝利、先ず父母の用明天皇と穴穂部間人皇后を神として祀り。その後、太…

我が母校の『二宮金次郎』像

数十年ぶり訪れた我が母校、健在でした。

初夏の京都・洛北パワースポット巡り『百々橋の礎石』

小川通と寺之内通が交わる辻に在ります「百々橋」礎石。 応仁の乱(1467年~1477年)の際、東軍(細川勝元)と西軍(山名宗全)の両軍が、橋を隔てて数度にわたり合戦を行い、歴史のひとこまが刻まれることになりました。 この石は歴史に名をとどめる「百々橋」礎…

初夏の京都・洛北パワースポット巡り『小川通りから寺之内通り』

「本法寺・仁王門」をくぐり小川通に出ます。 仁王門真向いに表千家「今日庵」。 裏千家「今日庵」。 小川通、茶道具のお店が並びます。 表千家「不審菴」。 小川通を寺之内通に回ります。 「百々橋」礎石。応仁の乱の戦場。 「百々橋」礎石の向い、寺之内通…