石碑 記念碑 文学碑 銅像 石像

京都三条・駅伝発祥の地

駅伝の歴史ここに始まる 我が国, 最初の駅伝は, 奠都50周年記念大博覧会「東海道駅伝徒歩競走」が大正6(1917)年4月27日, 28日, 29日の3日間にわたり開催された。スタートは, ここ京都・三条大橋,ゴールは, 東京・上野不忍池の博覧会正面玄関であった。 以上碑…

京都三条・高山彦九郎先生

朽ちはてて 身は土となり 墓なくも 心は国を 守らんものを 1928年に建てられた高山彦九郎像、1944年に金属回収令で一旦姿を消しましたが1961年に場所を変えて再建された「高山彦九郎拝礼像」。

三条通『池田屋』

時は幕末 祇園祭の宵山、御所に火を放ち、その混乱に乗じて孝明天皇を長州に奉じる謀議の最中、事前に察知していた新選組が襲撃した池田屋事件、その現場がここ。 長州藩の定宿だった旅籠・池田屋、その後も旅籠として営業を続け1960年ころに取り壊され、現…

宝蔵院胤栄『摩利支天石』

無敵の「奈良・斑鳩1dayチケット」を握りしめ、体力の続く限り奈良を体験するまち歩き。 宝蔵院流槍術の開祖・宝蔵院覚禅房胤栄が猿沢の池に映る三日月を突いて宝蔵院流鎌槍の操法に開眼したことは有名ですが、その宝蔵院胤栄が宝蔵院庭の大石に摩利支天を祀…

古代天野川地方條理区画四条通遺跡・碑

奈良時代前期(七世紀)におこなわれた大化改新令により班田収授法が施行され、交野地方でも天の川沿いに敷かれた条里制の四条通区画遺跡碑です。

大阪・桜ノ宮

大阪桜ノ宮、大川沿い銀橋(桜宮橋)を西に渡った国道沿いに佇む重要文化財「泉布観」と桜之宮「旧桜宮公会堂」。 もう少し西に行くと天神祭りの大阪天満宮です。 若葉に包まれた重要文化財「泉布観」。平成24年3月、ふるさと納税制度を活用し外観補修工事を…

高辻通『道元禅師示寂の地』

京都市下京区高辻に来たついで、何時もの様に散策。 ここ高辻通にも成徳中学校以外に見所は一杯、下京区高辻通西洞院入この地は曹洞宗の開祖・道元禅師示寂の地。 示寂とは菩薩や高僧が亡くなること入滅とも言い、病に伏した道元は療養のためこの地に在った…

まち遊びワークショップ vol.7 ~清荒神の参道を巡る・帰り道『村野藤吾邸跡』

数々の名建築を残した村野藤吾さん宝塚のお家は今は無く、跡地には別の方が住まわれてるそうで、門柱(裏門?)の一部と表札の様なコンクリート版が跡地の建物の一部として保存されています。 村野藤吾邸の一部。 コンクリート版には1934とローマ字で「TOHGO M…

プリンセストヨトミ・大坂城の抜け穴

豊臣秀頼の嫡男「国松」が、大坂城の抜け穴と思しき洞穴に潜んでいる映画「プリンセス・トヨトミ」の冒頭シーンを覚えていますか? その撮影現場が、滋賀県坂本、日吉大社の帰りに一休みした芙蓉園本館お庭の穴太積み旧白豪院洞穴の一部です。 入口には案内…

『天王寺区・味原』散策

天王寺区味原町の地元の方たちが、味原町魅力発見の下調べまち歩きを行うので参加します。 計画では、私も去年暮れ「あべのハルカス・縁活」で参加したオープン台地に参加団体として登録予定なんだそうで、町会長さんと地元の方からお話をお聞きしながら味原…

明治十八年洪水碑(伊加賀切れ)

1885年6月中旬から7月初頭にかけての大雨で2回に渡って淀川が決壊、 淀川流域では1802年の「点野切れ」以来とな る未曾有の大洪水、淀川堤防が約180mにわたって決壊した「伊加賀切れ」を経験、その決壊地点淀川左岸・枚方市伊加賀の淀川堤防上府道13号線沿…

カナダから友情のイヌクシュク

京阪中之島線・渡辺橋駅の長いエレベーターを降りた処に大きな岩のモニュメント「カナダから友情のイヌクシュク」。 プレートには以下のような記載が有り、2008年10月に贈られてます。 このイヌクシュク記念碑は、関西とカナダの間で長年構築された文化・…

浪華仮病院跡(大福寺)

明治新政府は、大阪に本格的な医学専門教育学校と病院建設を計画し学校に付いては舎密局が置かれましたが、病院の方は中々進捗せず大阪に行幸された明治天皇の御下賜金も有り1868年緒方惟準を院長に、主席教授をオランダ人ボードウィンで、ここ天王寺区上本…

新町橋親柱

大阪市内阪神高速高架下沿いには、結構色んな物が邪魔にならない様に押し込められていますが、たまに記念碑なんかも置かれていてこれもその一つ、西区新町1丁目「新町橋碑」。 船場と呼ばれていた区域の西辺、旧西横堀川に架かっていた唯一の橋が新町橋。 新…

つるのはし跡

日本書紀に「猪甘津に橋を渡し小橋と号す」との記載が有り「つるのはし」はその古跡とされ、記録に残る日本の橋としては日本最古の橋です。 周辺の河川は長年の河川改修で川の位置や地形など大きく変化してますが、此処に流れていた頃の平野川(旧大和川)に…

古代史教室見学会・豊中の桜塚古墳群を歩く!『岡町商店街』

羽曳野市「NPO法人 フィールドミュージアムトーク史遊会」の古代史教室見学会、阪急岡町駅西の大石塚小石塚古墳を見学した後、駅東側の古墳群を巡りに阪急宝塚線を越え岡町商店街を抜ける途中で周辺を散策。 阪急宝塚線を越え岡町商店街を抜けて東に向かいま…

《かつての淀川澪筋と旧跡を探る》淀川右岸(東淀川区中・東部)歴史散歩

「《かつての淀川澪筋と旧跡を探る》淀川右岸(東淀川区中・東部)歴史散歩」国交省・淀川管内河川レンジャー 崎谷さんのまち歩きです。 崎谷さんから今回の趣旨説明。 この度の散策は今日の都市的発展の陰で、幾多淀川・氾濫の試練をなめ起状盛衰があった事実…

鴫野古戦場碑

JR鴫野駅近くの大阪市立城東小学校校門内にある、大坂冬の陣「鴫野合戦」跡の記念碑。 校門の内側小学校敷地内に在り余り目立ちませんが、近くの八剱神社には大坂冬の陣当時「上杉景勝」が本陣を置いたと伝わっています。 鴫野古戦場碑。 大阪市立城東小学校…

安居神社(安居天満宮)

天王寺七坂の南から2番め「天神坂」に面した「安居神社(安居天満宮)」。 詳しい創建年などは不明ですが、少彦名神が祭られ942年菅原道真公が大宰府に流される折、風待ちで立ち寄り一休みしたことからから「安居」の名が付き「菅原道真公」が祭られるように…

慶立山 萬福寺・新選組『大坂旅宿跡』

天王寺区下寺町の松屋町筋沿い慶立山「萬福寺」、1594年 前田利家の弟、前田利信が開創した西山浄土宗光明寺派の寺院、幕末に新選組の大坂屯所が4年間置かれた寺院でも有ります。 新選組を配下に収める京都守護職は京都だけでなく大坂の治安維持の任も負って…

KANSAIウオーク2013・大阪市内エリア『蓮如上人袈裟懸けの松』

産経新聞社主催「KANSAIウオーク2013・大阪市内エリア」で、大阪城二の丸 内堀のそばに「蓮如上人袈裟懸けの松」。 豊臣秀吉が大坂城を築城する前「大坂本願寺」が存在し、その当主 蓮如上人の袈裟賭け松が有った所だそうで、現在は切株が有るだけですが、徳…

KANSAIウオーク2013・大阪市内エリア『越中井』

産経新聞社主催「KANSAIウオーク2013・大阪市内エリア」で「越中井」。 関ヶ原の戦いの折り、細川忠興の正室であった明智光秀の三女「ガラシャ(玉子)」はこの地に幽閉されており人質にされようとした折り近習を逃した後キリシタンのため自害が許されず家老…

『坂本龍馬 避難の材木小屋跡』碑

京都伏見・濠川に架かる大手橋のたもと坂本龍馬襲撃事件「寺田屋事件」で襲撃された坂本龍馬が逃げ込んだ材木小屋の有った所です。 以下長くなりますが、石碑に添えられた碑文の全文です。 慶応2(1866)年1月24日未明、薩長同盟を締結した坂本龍馬が、長州藩…

大阪国技館跡 碑

江戸時代から明治期に掛けては江戸相撲と並び大阪相撲の最盛期で有って、1919年9月に東京両国の国技館に対抗して大阪市浪速区の新世界・ルナパーク南側に鉄筋コンクリート・煉瓦造、建築面積約2000平方メートル、ドーム式の大阪国技館が建設され大阪相撲協会…

玉造名所『二軒茶屋・石橋 』旧跡

JR環状線玉造駅から長堀通を東へ50m位行った道路沿い「玉造名所『二軒茶屋・石橋 』旧跡」碑。 ここが明治中期まで「暗越奈良街道」の起点、「つるや」「ますや」という二軒の茶屋が有った事から「二軒茶屋」と呼ばれ、そばに流れていた猫間川に1711年幕府の…

『青湾の碑』 顕彰献茶式

「青湾の碑」顕彰献茶式です。 「煎茶の祖・茶神」と呼ばれる柴山元昭没後250周年、売茶翁100回忌の1862年「青湾の碑」が建てられた折に開催された、来客1200人という煎茶史に残る大茶会「青湾茶会」の150周年を記念し、毛馬桜之宮公園内「…

淀川連絡線跡遊歩道・碑

かって吹田駅・京橋駅・放出駅から淀川駅までを結んいで1982年に廃線になった淀川貨物線(正式名称は城東貨物北線淀川貨物連絡線、片町線貨物支線の一部で総称としての城東貨物線のうちの一つ)の京街道(京橋商店街)との交差点部分が遊歩道として整備され…

まち歩きツアー企画下見会・夕陽ケ丘『藤原家隆卿の塚』『伊達家・陸奥家・墓所跡』『小松帯刀墓所跡』

「愛染堂 勝鬘院」から少し北に行くと、この辺りの地名「夕陽ケ丘」の由来とされる「藤原家隆卿の塚」と「伊達家・陸奥家・墓所跡」「小松帯刀墓所跡」がほぼ一カ所に存在します。 新古今和歌集の選者の1人として知られ、自らの死期を悟った家隆は、日想観…

まち歩きツアー企画下見会・谷町筋『元祖竹本義太夫誕生地』碑

ツアー企画下見の途中、JR天王寺駅から谷町筋を少し北に天王寺公園の東、谷町筋沿い歩道に「元祖竹本義太夫誕生地」石碑が建ってます。 江戸時代の浄瑠璃語り、義太夫節浄瑠璃の創始者・竹本義太夫さんは1651年 摂津国天王寺村の農家に生まれると有るので当…

『藤井竹外邸址』碑

竹と酒をこよなく愛し、1807年(文化4年)高槻藩士・藤井沢右衛門家に生まれ鉄砲奉行としてお城に勤めた幕末の漢詩人・藤井竹山。 詩は頼山陽に学び山陽亡き後は梁川星巌に師事、七言絶句を得意とする事から「絶句竹外」と称され代表作に吉野山の桜と南朝へ…