《かつての淀川澪筋と旧跡を探る》淀川右岸(東淀川区中・東部)歴史散歩

 「《かつての淀川澪筋と旧跡を探る》淀川右岸(東淀川区中・東部)歴史散歩」国交省・淀川管内河川レンジャー 崎谷さんのまち歩きです。

 崎谷さんから今回の趣旨説明。

 この度の散策は今日の都市的発展の陰で、幾多淀川・氾濫の試練をなめ起状盛衰があった事実を振り返り、先人が多事多難に立ち向かった痕跡を確かめることで現在私たちが生活の基盤としている郷土の現情を把握することを目的にしています。そして将来にも予測される地震津波の、減災手がかりになればと思う次第です。

 

 東淀川区役所→旧亀岡街道→菅原町(旧新家村)→菅原神社→豊里町(旧三番、草刈の庄・天王寺庄)→豊里郷土資料館→大道南町(大宮)・大桐町(せせらぎの遊歩道、乳牛牧庄の碑)→大隅神社、8km

 以上のコースを歩きますが、かって「難波の八十島」と云われた東淀川区、現在では伺えませんが巡るポイントは島伝いに存在したので、ポイント間の距離が通常のまち歩きより開き気味で、以上廻り切れるか気に成ってましてやはり後半は端折り気味でしたが、やはり大隈神社まで来たら江口の君堂までは行きたかったですね。

 

淀川左岸・城北わんど。
水を抜いて水生生物の調査やお掃除、クリーン大作戦中。f:id:jotoyumekoi:20201001152913j:plain

集合地点、東淀川区役所。
地元の方が多い様です。f:id:jotoyumekoi:20201001152926j:plain

亀岡街道碑と橋柱。f:id:jotoyumekoi:20201001152939j:plain

道路を渡り向いの亀岡街道碑。
高麗橋から6.14㎞。f:id:jotoyumekoi:20201001152950j:plain

度々水害に襲われる土地柄で、石積みの上に家を建ててます。f:id:jotoyumekoi:20201001163035j:plain

瓦を積み上げた塀。
石碑には「吹田 富田 茨木」道、と在ります。f:id:jotoyumekoi:20201001153012j:plain

柳家
次回東淀川区西部のまち歩きを計画中だそうで、「中島大水道」をメインテーマに据え、その為に「一柳太郎兵衛」さんの一柳家の見学でしょうか。f:id:jotoyumekoi:20201001153025j:plain

菅原町(旧國次村)。大阪府保存樹。
大きなお屋敷ですが、左の柵の中に國次村碑が残ってます。f:id:jotoyumekoi:20201001152409j:plain

豊里町の古い町並み。f:id:jotoyumekoi:20201001152419j:plain

石碑が点在。f:id:jotoyumekoi:20201001152432j:plain

また石碑。f:id:jotoyumekoi:20201001152445j:plain

私の地元城東区の旧家もこのように石積みで嵩上して在りますが、2段くらい高い様です。f:id:jotoyumekoi:20201001152457j:plain

石積みの板塀。
板塀は農家の特徴で、武家だと塗塀に成ります。f:id:jotoyumekoi:20201001152512j:plain

菅原天満宮
人の背丈以上の高さの石積み上に鎮座してます。f:id:jotoyumekoi:20201001152525j:plain

ここにも大阪府保存樹。f:id:jotoyumekoi:20201001152536j:plain

菅原天満宮から少し距離を歩き「豊里郷土資料館」。f:id:jotoyumekoi:20201001152546j:plain

昭和35年から始まった区画整理事業の結果の過剰地に建てられた様です。
農機具や水防道具などの生活雑器が展示されています。f:id:jotoyumekoi:20201001152557j:plain

東淀川区「大宮」。f:id:jotoyumekoi:20201001152622j:plain

第27代安閑天皇主祭神として祀られた神社で、安閑天皇はこの地を度々訪れ、放牧の適地として奨励されたそうです。f:id:jotoyumekoi:20201001152611j:plain

大宮 拝殿。f:id:jotoyumekoi:20201001152656j:plain

本殿裏に「聖徳太子社」が在ります。f:id:jotoyumekoi:20201001152633j:plain

拝殿から大鳥居。f:id:jotoyumekoi:20201001152644j:plain

せせらぎの遊歩道。f:id:jotoyumekoi:20201001152723j:plain

ここにも橋柱。f:id:jotoyumekoi:20201001152710j:plain

乳牛牧跡。
「ちゅうしまき」と読みます。f:id:jotoyumekoi:20201001152736j:plain

せせらぎの遊歩道が続きます。f:id:jotoyumekoi:20201001152748j:plain

逆巻の地蔵尊
もと豊里大橋付近の阪巻村(現在淀川河川敷)に在り、付近は淀川でも水流の激しいところで、船は帆を逆に巻かねば転覆するほとで、多くの犠牲者が出たのでその冥福を祈って建立したといいます。
淀川の開削などで村が無く成り、大正12年現在地に移転しました。f:id:jotoyumekoi:20201001152759j:plain

大隈神社。f:id:jotoyumekoi:20201001152812j:plain

応神天皇(大隅宮)をお祀りしています。f:id:jotoyumekoi:20201001152826j:plain

拝殿。f:id:jotoyumekoi:20201001152837j:plain

菅原道真大宰府に赴く道すがら立ち寄ったとされ、ここにも天満宮f:id:jotoyumekoi:20201001152849j:plain

ここで解散。
私は自転車を取りに何人かと出発点の東淀川区役所に戻りますが、しかしよく歩きました。f:id:jotoyumekoi:20201001152902j:plain