大阪国技館跡 碑

 江戸時代から明治期に掛けては江戸相撲と並び大阪相撲の最盛期で有って、1919年9月に東京両国の国技館に対抗して大阪市浪速区の新世界・ルナパーク南側に鉄筋コンクリート・煉瓦造、建築面積約2000平方メートル、ドーム式の大阪国技館が建設され大阪相撲協会が本拠を構え、東京大阪合同の大相撲興行なども行われ大変盛況だだった様ですが、当時すでに大阪相撲の衰退期が始まっており、1927年大阪相撲協会は解散し東京と合流し大日本相撲協会が設立され姿を消しますが、建物自体は映画館やOSKの舞台として存続しますが、1945年の大阪大空襲で焼失跡地に石碑を残すのみに成ってます。

 大阪国技館は別に1937年城東区関目の城北川沿いに当時の両国国技館より大きな収容人員25000人と云われる大阪大国技館が建設されますが、戦局の悪化から数年の興行で休止となり戦後まもなく解体されています。

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新世界のスパワールドから北、右の緑地に石碑が建ってます。f:id:jotoyumekoi:20200605015057j:plain

スパワールドから通天閣、右緑地に大阪国技館跡石碑。f:id:jotoyumekoi:20200605015108j:plain